表現者の肖像 波田野裕基
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未来へのメッセージ

カイラス山に行く前から、カイラス山のことを本に書くことは決めていました。

カイラス山は、もし行くことができれば輪廻転生を終わらせることができると信じられて、チベットやネパールでは一生のうちで命をかけてでも行くべきだと信じている人が多いと聞いていました。また、仏教修行でも個人としては密教がもっとも効力があるとされ、その中でもチベット密教が世界中でもっとも釈迦の生きていた原始仏教の体系を純粋に継承していると主張する人が多いです。

仏教ではすべての人には仏性が宿っているという考えがとても重んじられています。日本では全ての人やものには霊が宿っているという考え方が古くからありました。はじめて五体投地を見た時は衝撃を受けました。チベットでは頭を下げるどころか、まるで土下座のような五体投地を普通にやります。

ある社員食堂での会話で、先輩社員がご飯を食べる時、手を合わせて「いただきます」と言っている姿に対して、ある若い後輩社員が「お金はもう払っているのにいただきますって変じゃないですか。」と笑い者にしたそうです。それに対してその年をとった先輩社員は「君が食おうとしているのは金だ。俺が食おうとしているのは命だ。この意味は分かるか?」と言ったそうです。

お金はないと生きていけません。企業は利益がないと潰れます。お金を稼ごうとすることは悪いこととは思いません。しかし、お金はそれ自体はただの紙屑にすぎません。醒めた目で今の世界を見ている人には、この世界はまるでお金を基準にした宗教に見えるかもしれません。

テクノロジーがすすみ、世界は同じ環境、同じルール、同じセンスに統一されつつあります。今や、チベットの僧ですら携帯電話を持っています。莫大な数の人の力が合わされないと、すごい力は発揮することはできません。そういう意味では同じルールは大切だし、「しくみ」は偉大なものだと思います。しかし、最近はその「しくみ」を偏重しすぎている気がします。そのしくみの奥には多くの「命」がある事を見失うと、「祈り」は「呪い」に変わってしまうと思います。

普段は生きていくために、お金や「しくみ」に埋もれている人には、一定期間ごとに「みそぎ」やお祓いが必要だと思います。

幻冬舎ルネッサンス新社

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