WEB小説コンテスト「イチオシ!」

エントリーナンバー3 カップの底に見えたものベリーダンサー・カメリアの物語

p3

著者名:富澤 規子

 この頃の英子はいつも仮面をつけているようだったという。心が解放されることをまだ知らなかった。親しい人にもそのことを指摘され、人間関係がうまくいかない。いつもきっちりとお化粧をして、少しの隙も見せないように振舞う。それは不自然な感情だと教えられても、自然に振舞うことがどう言うことか英子にはまだ理解できない。

 そんなある日、アラブ人のパーティに呼ばれた。70年代の北米には情勢不安から逃れて来たアラブ人が大きなコミュニティを形成し始めていた。故郷に帰れない事情は済州島から逃れた島民と重なるものがある。彼らは慣れない暮らしのなかで、アラブの音楽を歌い踊り、楽しみと慰めを見出していた。彼らが英子を誘ったのは彼女の表情に見逃せない孤独や寂しさを見つけたからだろうか。

 彼らはカセットテープの音楽でめちゃくちゃに騒ぎ、そして疲れるとある歌手の静かな歌を聞いてくつろぐ。

 ウンムクルスームと言うアラブ歌謡の大スターの曲だった。

 喉の奥から震える声で、多くの愛や人生を歌った歌謡史に残る名曲の歌声だ。アラビア語で歌われたその意味は英子にはわからなかった。ただ、英子の心に響きしみこんでいった。アラブ歌謡には7拍子や11拍子と言う西洋音楽のセオリーからは変則的なカウントが多く、音階も四分の一音の上げ下げが極普通に行われる。西洋音楽に慣れた耳には、先の読めない音の波にある種の酩酊を感じトランスレーションにからめとられてしまう人は多い。初めて聞く音楽にも関わらず英子は懐かしさを覚え、母親が口ずさんでいた済州島の民謡を思い出した。

 こうして英子はアラブ芸能の世界にのめりこんでいく。

 当時北米でも流行し始めたベリーダンスを習い始めた。ベリーダンスには基本的に決まった振り付けが無い。感情のままに腰を震わせ、腹をくねらせる。感じることをそのままに、嬉しい時は嬉しいと、悲しい時は悲しいと心からの叫びをその指先にのせる踊りである。

 アラブの音に酔うように身をゆだねて踊るうちに、英子の心を覆う仮面が一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。

 そうして北米を放浪した末に、初めてショーダンサーとして踊ったレストランで占い師に「お前はカメリアだ」と告げられた。

 カメリア……椿……Kamellia。