WEB小説コンテスト「イチオシ!」

エントリーナンバー1四十円

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著者名:中條 てい

 ある朝、ゴミの袋をもって家を出て、玄関下のステップに茶色いものが乗っているのを見つけた。はじめは枯れ葉かと思ったが、拾おうとしたら十円玉だった。しかもきちんと積み重ねて四枚もある。俺は掴みかけた手をひっこめた。

 落としものじゃないな。おそらく近所の子どもが置いたのだろう。狭い路地の道幅に比べれば玄関前の駐車場は広く、車が止まっていなければ近所の子どもが入ってよく遊んでいる。忘れものならそのうち取りに戻るだろうと、俺はそのままにしておいた。

翌朝、四十円はまだそこにあった。誰も触れなかったように、昨日のままステップの端っこにきっちり積んであった。四十円は小さな子どもにはそれなりの小遣いだろうに、遊びに夢中で置いたことも覚えていないのだろうか。思い出せばきっと取りにくるだろうと、俺はこの日もそう考えていた。

 それから二、三日は依頼されたイラストの仕事をあげるため家に籠っていた。職業を画家と名乗っていられるのは時々舞い込むこんな仕事のおかげだ。かつて意欲を注いだ「作品たち」は焦燥の時期をすぎてしまえばむしろ手放し難く、今はずっとここにいろという心境にもなってきた。

 女房が先週からまたしても世界遺産を巡る旅とやらに出かけていったので、しばらくは俺一人、仕事は今のうちに気ままにやっておこう。腹が減ったら適当に食って、眠たくなれば寝ればいい。

 女房も仕事をもっているし、俺はこんなふうだから夫婦といっても生活サイクルはちぐはぐだ。はじめこそ互いに無理をして合わそうとしたけれど、「寄り添うって……ちょっとちがわない? 」と女房がもらした一言が俺たちの流儀を変えた。ふだんは会社勤めの女房を優先し、俺が彼女のリズムを崩さないように努める。その代り俺が仕事に入ったら、それがいかに唐突であっても好きにしてよいというのがいつの間にか二人のルールになった。

 たとえばこうだ。仕事に出る女房を助けて俺が部屋を掃除し、洗濯物を干し、ときには夕食の準備をしていたとする。ところが、俺の仕事はこんなだから、その日のうちに、あるいは翌朝に前触れもなくはじめることもある。そうなると家事は一転して女房の担当になるわけだが、大袈裟にいえば、俺が放り上げたパンケーキをさっと持ち替えたフライパンでキャッチするほど迅速に、彼女はすんなり生活を切り替えてくれるのだ。俺は女房のこんな天才的な対応力に感服する。だから彼女のため、俺もあまり長期の制作はやらないでおこう……なんていうのは自分への言い訳だが、くっつきすぎず、離れすぎず、俺たちはいい具合に相手のいる岸を眺めながら暮らしている。