行動選択と意思決定
私たちの行動は、行動選択と意思決定の連続であるといわれる。行為、行動には何らかの目的、意図があるといわれ、その都度なぜその行動を選択するように意思決定がなされるのかという、何らかの意味、理由があるはずである。たとえば旅行に行こうとすれば、何日も前から行動の計画を念入りに立てて実行する場合もあるだろう。これは旅行に行くという行動を選択するという意思決定がなされて計画されるというものである。
しかし何日も前からのような時間的な余裕がなく、ごく短時間に発現したような、反射的と思われるような行動であっても、そこでは行動選択と意思決定がなされている。たとえば急に人とすれ違った時、一瞬その人に目を向けるのか(顔を見るのか、視線を合わせるか)という、瞬間的な、いかにも反射的と思われるような行動においても、行動選択と意思決定が意識的に(あるいは無意識的に)なされている10。ちなみにこの場合の意思決定にかけられる時間というのは、近づいてくるその人を周辺視野で認識してからすれ違うまでの、早ければだいたい数百ミリ秒から数秒程度であろうと考えられる。このとき目を向けるか向けないかの行動選択と意思決定に至る過程の心理はいろいろだろう、たとえば相手の人が自分の知人かどうかを見る(これは相手を中心視野か少なくとも有効視野でとらえないとわからない)、などである。
動きの記憶と脳部位
動き、運動行動と記憶との関係はどうなっているのか。心理学での記憶の分類は図5のようになっている。宣言的記憶とは、言語で表現される記憶である。非宣言的記憶とは、言語では表現できない、または表現しづらい記憶である。この中で動きに関する項目としては、「手続き記憶」、「スキル(技能)」と「習慣」の部分である。また「手続き記憶」は非宣言的記憶であり、簡単に言うと「方法」「やり方」の記憶ということで、運動に関してだけではなく、認知機能に関しても使われる。スキル(技能)、習慣、運動の記憶などは手続き記憶である。スキル(技能)には、運動技能、知覚技能(感覚に対する鋭敏化)、認知技能(問題解決における処理能力の向上)があり、動きに関係しているのはもちろん運動技能である。運動に関するスキル(運動技能)とは、ある動きを何回も試行錯誤しながら繰り返し行い学習することによって、次第に顕在的な記憶から潜在的な記憶に移行し、最終的に自動化といって、意識しなくてもその動きができるようになるという過程を経てつくられる手続き記憶のことである。

運動行動に関してのスキル(運動技能)には、柔軟性flexibility、スピードspeed、平衡性balance、協応性coordination などの項目が挙げられている。
次にここでの「習慣」という意味は、たとえば歯磨きなど日常的な行為において、その行為を行うための系列的な手順を何回も繰り返し行うことによって、その手順をより正確に、間違いなく、時間的にも速く行えるようになる過程でつくられる動きの記憶のことである。
ちなみに運動行動の学習に関して、認知段階、連合段階、自動化段階という三つの段階があることがわかっている。認知段階は、これから学習する運動行動、運動課題について、どのような動きを行えばいいのかなど言語的に理解する段階で、過去に経験した運動行動を参考にする場合もあり、試行錯誤的に動きを習得していく過程のことである。連合段階は練習を重ねることで、安定した運動行動を遂行できるようになる段階である。自動化段階は自身の運動行動に注意を向ける必要がなくなり、自動的な動きとなる段階で、戦略や周囲に注意を向けることができ、どのような場面でも安定したパフォーマンスが発揮できるようになるというものである。
この中で、自動化段階に入った状態での動きの記憶というのが、手続き記憶におけるスキル(運動技能)に相当すると考えられる。運動行動の段階的な学習の理論は、もともとはスポーツなどに関して考案されたものかもしれないが、スポーツ以外の一般的な行為、日常生活動作などにおいても、繰り返されて自動化するという点においては同様である。
一般に「手続き記憶」として代表的なものは、自転車や自動車の乗り方、楽器の演奏、パソコンのキーボードを打つなどの行為がある。自転車の乗り方と自動車の運転のしかたとでは何か全然違うようなもののようにも思われるが、どちらも手続き記憶といわれる。自転車を動かす行為は全身運動であり、ハンドル操作や体重移動などで倒れないようにバランスをとりながら、ペダルを踏んで前進させ、使う筋力も大きいが、一度習得すれば乗り方自体には注意を向けなくてもよくなるということで手続き記憶における自動化ということになる。車の運転はハンドル、アクセル、ブレーキ操作などにおいて、全身運動というより手足の動きが主体で、使うべき筋力の総量というのは自転車に比べると少ないように思われるが、ハンドル、アクセル、ブレーキなどの操作(道具の使用ともとれる)自体に関しては一度習得すれば自動的となると考えられ、これも手続き記憶における自動化ということになる。手続き記憶に関係した脳部位は、大脳基底核、小脳といわれている。
ちなみに何回も繰り返されて自動化した動きに関しては手続き記憶ということになるが、一回だけ行われた動きとか、習慣化までには至っていないが何回か行われている動き、つまり手続き記憶といわれるまでには至っていないような動きの記憶というのは、この図5の分類にはない。このような一般的な動きと記憶との関係はどのように考えたらいいのか。何らかの動きが行われれば、それはまず何らかの記憶(短期的な記憶)となるのではないかと考えられ、それが繰り返されれば長期記憶となるという原則はあると思う。またある動きを一度行えば、次からはその動きがしやすくなるというのが記憶の機能となり、これにはプライミングのような機能が関係しているようにも思われる。動きの基礎となる幼少時から構築される内部モデルも、動きが繰り返される過程で学習、記憶されてきたものと考えられる。
動きの記憶に関して、自分の動き、つまり自分が何かをやったということは、自分にとっての経験、エピソードであり、この記憶はエピソード記憶と思われる。もちろんこの際、その場の状況などもエピソードとして一緒に記憶されるだろう。エピソード記憶が保存される脳領域は、海馬が関係した側頭葉となる。ただ自分の行動を客観的に認識すること(エピソード記憶)と、自分が実際に手足を動かして行った内的な感覚というか、自分の主観的な動きそのものに対する記憶というのは、違うもののような気がする。
自分自身の動きのとらえ方に関して、「運動イメージ」で考えると、運動イメージには、筋感覚イメージと視覚的イメージとがあるといわれ、筋感覚イメージとは、自分が動いている、自分の筋肉を動かしているという、動きそのものの内的な感覚のイメージのことであり、視覚的イメージとは、自分の動きをあたかもモニターで見ているような客観的なイメージのことである。エピソード記憶はどちらかというと視覚的イメージに近いように思われる。もちろん自分の動きをモニターや録画で見たとすれば、その記憶はそれを見たという客観的なエピソード記憶ということになるだろう。いつも自分の動きをモニターで見ていることはできないだろうが、動いている最中に、一部は見えている自分の手足や体幹の前面などから、全体的な自分の動きを想像し、イメージすることはできる。この認識は視覚的イメージに近いように思われるので、これは客観的でエピソード記憶ということになるのかもしれない。しかし筋感覚的イメージは、「今自分が動いている」という、内的で主観的な動きの感覚そのものであり、客観的なエピソード記憶とは全く違うように思われる。この筋感覚イメージのような内的な動きそのものの記憶がエピソード記憶とは違うと考えた場合、これが脳のどこの領域に保存されるのかはよくわかっていないわけだが、その候補としては、補足運動野、運動前野、小脳、大脳基底核などがあげられる。
行動プラン、プログラム
運動行動、行為はどのようにつくられ、実行されているのだろうか。これに関しては不明な点も多いが、一般に運動行動、行為が行われる前には、運動のプラン、プログラムの作成がなされるといわれている。運動プランというのは簡単に言うと、これから何をしようかというような、行動の計画のようなものをいう。朝起きたあと、これから何をするのか、行動計画をはっきり決めている場合もあるし、何となく行動しているようなこともあるように思う。朝起きて顔を洗うとか、日常生活動作に関しては行動プランというわけでもなく、ほとんど無意識的に行っているようにも思われる(習慣は手続き記憶で自動化されている)。
行動プランがつくられる理由として、行動、行為には基本的に達成すべき目的があり、その目的を達成するために、行動発現前にあらかじめ行動プランやプログラムを作っておく必要があるということだろう。達成すべき目的に関しては、とくに体を動かさずじっとしていて、思考過程だけで目的が達成できるのであれば、べつに動く必要はないわけだが、だいたいは体を動かさなければ目的は達成できないわけで、体を動かすという身体活動、つまり筋肉活動が必要となるわけである。したがって抽象的な行動プランは、身体活動のための具体的な行動プラン、行動プログラム、つまり最終的に個々の筋肉活動に変換していく必要があるわけである。前頭前野での抽象的な行動プランを、具体的な行動プランに変換し、さらに具体的な個々の筋肉活動に変換していくためには、前補足運動野、補足運動野、運動前野、運動野の活動が必要である。また補足運動野は記憶とも関連していて、これから行うべき動きに関して、過去の記憶から必要な動きを想起し、その選択された運動記憶から現在の運動シークエンスを生成するのであろうといわれている(1)。どの筋肉をどのような順番で動かすのか、すべてを意識的に決められるものではない。つまり前頭前野においてはじめに抽象的な行動プランをつくれば、実際の運動行動を行う際には、運動関連領野によって、無意識的に(自動的にともいえる)筋肉活動に変換されるというイメージである。もちろん動きの実行の際には、その直前の感覚の入手が必要で、これは無意識で知覚される場合も意識される場合もある。
一般にスポーツなどの運動において、ひとつの課題遂行の開始から終了までの運動の変化を運動シークエンス(運動系列)という。ひとつの運動シークエンスには関節運動の空間的かつ時間的な変化の多様性がある。またそれを実現しているのは身体の数多くの筋肉の時系列的な筋収縮シークエンスである(1)。運動行動を起こす前に、体をどのように動かしたらいいか、個々の筋肉がどのように動くのかを、あらかじめ決めておけば、瞬間的にうまく動ける。この運動の目的に対応する全体的な構成が動きの具体的な運動プランである。運動プログラムは、運動の組み立てや順序にかかわる複数の運動シークエンスのまとまりで、複数のサブプログラムからなり、さらにサブプログラムは基本的な筋収縮パターンから構成される(1)。日常的な動きに関しても、系列的な動作が必要な場合も多く、それに必要な筋収縮シークエンスが存在するとも考えられる。
車の運転の運動プログラム
ここでたとえば買い物に行くという行動プランを考えてみる。これには、車を運転してスーパーマーケットまで買い物に行くという具体的な運動プラン、運動プログラムが必要である。車を運転するという運動プランを実行するためには、まず車に乗るためにドアを開け、車に乗り込んで、エンジンを動かし、ギアをドライブに入れるなどの運転開始のための運動プログラムが必要である。車を運転するには、アクセルのペダルを踏んで動かすわけだが、実際に道路にでて走行する際に、道路状況には想定内のことだけではなく、想定外のこともあるかもしれず、安全に走行するためには常に道路状況に対して注意が必要と考えられる。前の車との車間距離を保つためにスピードを調節したり、赤信号や歩行者などに対して止まったり、ハンドルを回す時もゆっくりと回すか、素早く回すか、両手で行うか片手で行うか、減速だけか、急ブレーキを踏むか、どの程度で加速するのかなど、状況に応じてさまざまに運転の仕方や走行状態を変えなければならない。つまり運転にはハンドルを回したり、アクセル、ブレーキを踏んだりする複数の運動プログラムが必要であって、安全に走行するために状況に応じて行動選択と意思決定という過程が連続的に必要で、これも運動のサブプログラムの形成に関与していると考えられる。
運動イメージ
実際に運動を行わなくても、自分が運動していることをイメージすると(運動イメージの想起)、補足運動野や運動前野が活動するといわれる。ここで一般に、「イメージ」の厳密な定義は難しいが、たとえば過去に見たものの視覚イメージとは何かといった場合、長期記憶から過去に見たそのものが想起されたもの、見たものとそれから連想される何か(これもまたイメージということかもしれない)を合わせたようなもの、見たものが抽象化されたようなもの、などいろいろと考えられる。結局はその人がイメージしてくださいと言われて、最初にパッと浮かんだものということになるのだろう。先述したように運動イメージには、大きく分けて筋感覚的イメージと、視覚的イメージとがある。筋感覚的イメージとは、自分が実際に動いているような、まさに自分の体を動かしているという、いわば主観的な動きそのもののイメージのことをいう。視覚的イメージとは、自分が動いている状態を、客観的にモニターで見ているようなイメージのことである。
運動イメージが大切な理由のひとつは、運動学習においてである。新しい動き、複雑な動きをマスターする場合、実際に体を動かして覚えていく方法はあるが、それ以外に動きをイメージすることで、実際に体を動かさなくても、その動きを学習する効果があるということである。
運動イメージの想起は随意運動の発現前に生じる脳活動であり、行為を生み出すための脳内シミュレーションである。つまり何かをやろうとした場合、パッとその動きのイメージが頭に浮かぶといった、よく経験するようなことである。運動イメージの想起時に、補足運動野と運動前野が活動する。これによって補足運動野と運動前野は運動プログラムを担当し、運動野に運動の指令を送ると考えられるようになった。補足運動野と運動前野における運動プログラムの再編成が、新しい動作や行為の創発には不可欠であると考えられている。つまり行動の目的に応じて、これから行うべき動きが、過去の行動の記憶をもとにして、パッとひらめくということである。運動イメージは特定の行為の表象であり、ワーキングメモリーのなかで(つまり今の状況を意識に持ちながら)、行為が内的に予行演習される状態、心的な行為の脳内シミュレーションと考えられている。人間はそのような脳内シミュレーションを、日常生活で経験する多くの状況下で、無意識的あるいは意識的に遂行している。フランスの神経生理学者のマーク・ジャンヌローは運動イメージを「行為を実際に実行せずに脳内でシミュレートする非常にダイナミックな心的状態」と定義している(1)。
参考文献
- 1)『人間の運動学 ―ヒューマン・キネシオロジー』
宮本省三 (著)、 八坂一彦 (著)、 平谷尚大 (著)、 田渕充勇 (著)、 園田義顕 (著)
協同医書出版社 2016年 - 10)CLINICAL NEUROSCIENCE Vol.39 2021年08月号
「意思決定と行動選択の神経科学」
中外医学社
| 動きと意識 【全7回】 | 公開日 |
|---|---|
| (その1)Ⅰ 動きと意識のダイナミクス | 2025年6月30日 |
| (その2)Ⅰ 動きと意識のダイナミクス | 2025年7月30日 |
| (その3)Ⅰ 動きと意識のダイナミクス | 2025年8月29日 |
| (その4)Ⅰ 動きと意識のダイナミクス | 2025年9月30日 |
| (その5)Ⅱ 脳と運動の相互作用 | 2025年10月31日 |
| (その6)Ⅱ 脳と運動の相互作用 | 2025年11月30日 |



