真珠湾攻撃「だまし討ち説」の破綻―裏口参戦説を糾す

No,052

白松 繁

No.52 白松 繁

作品紹介

No.52 白松 繁

真珠湾攻撃「だまし討ち説」の破綻―裏口参戦説を糾す

白松 繁

本書は2013年5月、文藝春秋社より自費出版した書籍に、その後得た情報をベースに加筆訂正を行い内容をより充実させ改訂版として発行したものです。

日本では真珠湾攻撃というと日本海軍の圧倒的勝利として喧伝され、アメリカに於いては日本の騙し討ち説が定着しています(現在のアメリカの高校の教科書でも騙し討ちであったと書かれている)。
然しそれが必ずしも事実でないとしたら、日米戦争の見方は大幅に変わります。
一方日本側に於いても真珠湾攻撃が果たして唯一正しい選択であったかどうか、その面からの検証も必要です。
何故なら日本の真珠湾先制攻撃が無ければアメリカは絶対に参戦することは出来なかった。言い換えると、当時アメリカ世論の大多数が戦争反対のため、自ら日本に先制攻撃を仕掛けることは不可能な状況にあったのです。

私は真珠湾攻撃は明治維新より始まった富国強兵策の終着点であり、同時にその後の民主平和国家を歩む出発点となった言わば日本近現代史の分水嶺だったと考えています。
太平洋戦争でアメリカの30倍、300万もの犠牲者を出しながら、仕方がなかったという日本人特有の諦観もあり、戦後70年に至るも日本人自身によるその責任の総括は不徹底なままです。日本人の曖昧さや諦観は事を荒立てないとする先人の知恵でもありますが、それでは歴史を正面から捉えている国とは言えませんし、誤解を生む源になっていることは明らかです。

私はまず真珠湾の真実に向き合い、次のステップとして、先の戦争責任を検証しなければと思っています。それは騙し討ちと言い続けるアメリカ人にも、実は騙し討ちではなくそれがアメリカの戦争戦略であったことを事実を以って知らしめる必要があります。
どちらが正しかったとか悪かったというのではなく、それが日米のこれからの70年を是は是、非は非と言い合える真のイコールパートナーとしての同盟関係構築の根幹になるからです。
これは私如き一個人で達成出来るものではありません。読者の皆様方のご理解を力に目標達成に邁進する所存です。

プロフィール

No.52 白松 繁

白松 繁

1943年静岡県生れ。
1961年県立静岡工高卒(現静岡県立科学技術高校)。
同年矢崎電線工業(株)入社後、矢崎資源、矢崎部品、矢崎総業各社に勤務、技術開発、生産、購買業務及び海外プロジェクトに従事。
2005年本社品質管理室副室長(参与)退任後、日米の公文書館を訪ね真珠湾史実の調査を始める。
2013 年『そのとき、空母はいなかった 検証パールハーバー』を自費出版(文藝春秋発行), 同年11月静岡新聞社主催第14回静岡県自費出版特別賞受賞。
2016年同英語版を電子本(含むPOD本)として22世紀アートより発行。
2016年『別冊宝島2522 日本史再検証 真珠湾攻撃』に「米国内の真珠湾論争1941~2016」を寄稿、
2017年『歴史通』(2017年1月号)の「やはり「海軍暗号」は解読されていた!? 激突対談」で原勝洋氏と対談、
2018年長谷川煕著『自壊 ルーズベルトに翻弄された日本』で拙著『そのとき、空母はいなかった 検証パールハーバー』が、真珠湾史実探求本の決定版として紹介された。
2019年Lexington Books 発行、ハリー・レイ/杉原誠四郎共著英文本「Bridging the Atomic Divide」中に日米の真珠湾史実研究者5人の一人として紹介されている(同著Appendix B,p261)。
2020年8月末「真珠湾攻撃”だまし討ち説” の破綻- 裏口参戦説糾す」を幻冬舎より電子本(含むPOD本)として発行。


座右の銘

「日日是好日」

上記は禅語のひとつで、唐末の『雲門広録』巻中を出典とし、日本読みでは「にちにちこれこうにち」または「にちにちこれこうじつ」「ひびこれこうじつ」等と読まれています。
解釈は人によってそれぞれあるようですが、私は、「日日是元気」と解釈しています。やはり人間の幸せの源は「元気」あっての「好日」にあるからです。「元気=体調良好」はアランの幸福論「物事を悲観的に考え過ぎない」にも繋がっています。

書籍に込めた想い

真珠湾に関しては、戦後の75年経過するも、未だルーズベルト大統領は事前に知っていたとする側と、知らなかったとする側の論争に決着が付いたとは言えない状況が続いています。それは、日本の攻撃を事前察知していたが、迎撃することなく敢えて日本に攻撃させたと主張する側を「陰謀論派」「歴史修正派」、一方、無通告で攻撃した日本の「卑怯なだまし討ちだった」する米政府見解を支持する側を「定説派」「正当論派」と称し、双方が論争を繰り返し、現在に至るも決着したとは言えない状況にあるからです。その原因は「歴史修正派」の主張は全て「状況証拠」(Circumstantial Evidence)に過ぎないとする「定説派」の主張にあります。

そこで、真珠湾攻撃80年となる本年こそ、本論争を最終決着させるべきとの思いで、今回は広く流布している「裏口参戦説」を否定する第2部を加えて、なぜアメリカが共産主義の中ソを軍事援助し、資本主義の防波堤であった日本を叩き潰したのか、そこには、資本主義国の盟主アメリカの大義はあったのか等について言及した第2作目を幻冬舎より電子書籍(含POD本)で発行することにした次第です。

書名もずばり「真珠湾攻撃”だまし討ち説”」の破綻‐裏口参戦説を糾す」とストレートなタイトルとしました。第1部を「だまし討ち説の破綻」、第2部を「対日戦はアメリカの正面攻撃‐裏口参戦説を糾す」の2部構成とし、真珠湾攻撃に至った日米の角逐の経緯を加え、日米の衝突の萌芽は、米独の衝突より遥か以前より生じていてことを明らかにしました。

日本は大陸中国で、表向き蒋介石国民党軍と戦ったわけですが、米英ソ独が背後で蒋介石(含毛沢東軍)を軍事支援していたことで、実質的には、蒋介石(含毛沢東)、ルーズベルト、チャーチル、スターリン、ヒトラーの5か国と戦っていたことになります。真珠湾攻撃3日後に、自動参戦義務もなかったドイツが対米宣戦布告をし、結果的に第一次世界大戦と同じ轍を踏むことになってしまった経緯を明らかにしました。そこには日独を対米戦に追い込む、巧妙な謀略の影が見えてきます。

インタビュー

貴著が発行されました、今の気持ちはいかがでしょうか。

2013年文藝春秋発行の拙著『そのとき、空母はいなかった 検証パールハーバー』にて、アメリカが日本の真珠湾攻撃を事前察知していたことを日米の公文書館史料をベースに明らかにしました。結果、秦郁彦、長谷川煕、杉原誠四郎、原勝洋、鳥飼行博氏等、真珠湾史に造詣が深い方々に注目して頂き、一定の成果を上げることが出来たと自負しております。また本書英文版No Aircraft Carriers At Pearl Harbor-A Victory In War Intelligenceも出版、amazonでPOD本の購入が可能となっています。
本年、真珠湾攻撃80周年の節目となり、拙著2作目『真珠湾攻撃 「だまし討ち説」の破綻 裏口参戦説を糾す』を幻冬舎より電子書籍(含POD本)で出版しました。本書は第1部で新規史料を加え「だまし討ち説」の破綻をより明確に解説し、第2部では「真珠湾攻撃はアメリカが対独戦に参戦するための“裏口作戦”だった」とする通説を覆し、「対日戦はアメリカの正面作戦であった」ことを明らかにしました。本書により従来の通説が覆され、先の大戦の歴史の見直しが一層進むことを念願しています。

今回出版しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

私は、2001年出版ロバート・スティネット著『真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々』を読んだとき、長年の真珠湾論争は、これで決着がついたと思っていました。ところが、このスティネット本に対し、証拠不備、記述に矛盾ありとの非難が集中、論争決着どころではなくなった状況に驚き、それならば、同本の問題とされる箇所を洗い出し、私自身で事実解明を試みようと思ったことがきっかけです。
私が真珠湾史実に拘る理由は「だまし討ちをした卑怯な日本人」とされ、日本悪者説が定着、その結果、現行の歪な日米同盟関係(属国関係)を余儀なくされている元凶と考えているからです。この岩盤の如く固まってしまった「だまし討ち説」を打破し、以ってイコールパートナーシップをベースとした真の日米同盟構築の嚆矢となればとの思いで出版を決意した次第です。

どんな方に読んでほしいですか?

「ルーズベルト大統領が事前に察知していた」と主張すると、「また陰謀論か」と言って軽侮する歴史家、政治家、ジャーナリストが未だ多くおられます。第一にその方々に読んで頂き、「だまし討ち」とされている歴史の定説を見直して頂きたいと思っています。また、これからの日本を背負って国内外で活躍する20、30代にも読んで頂き、二度と戦争に巻き込まれないようにするために、正しい歴史認識を以って、現状歪な日米関係(属国関係)を解消し、真のイコールパートナーの関係構築を語れるようになって欲しいと願っています。

座右の一冊

現代語訳 武士道 (ちくま新書)

著:新渡戸稲造著、山本博文訳

この書物は、明治32年(1899年)、Bushido: The Soul of Japanとして、新渡戸稲造が38才の時、アメリカで出版され、日本的思考を外国人に示した日本文化論本として世界的なベストセラーとなったとのことです。
武士道は武士が守るべきことの道徳の掟ですが、文字で書かれたものではなく、数十年、数百年に及ぶ武士(サムライ)たちの生き方から自然に発達してきたもののようです。その為、その起源をはっきりとしてはいませんが、封建制の成立と時を同じくしていると言われています。封建制といえばその時代に、ヨーロッパでは「騎士道」が盛んに唱えられました。一言で言えば「戦士の掟」即ち戦士階級における「ノブレス・オブリージュ」(高貴な身分に伴う義務)のことを指し、「武士道」と相通じています。

「武士道」の教えは、正義、勇気,仁(惻隠の心)、礼、信と誠、名誉、忠義から成っていますが、これらは、「ノブレス・オブリージュ」と共通のベースにあると知り、本書を座右の一冊にあげることにしました。その心は、東大総長大河内一男が1964年3月の卒業式で「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」と訓示されたと新聞で知り、当時21才の私は、さすが日本トップの最高学府と感銘したことと重なったからです。社会のリーダーとなる人物は、社会のエリートとして、単に金持ちを目指すのではなく、社会の模範となって、国民すべてより尊敬の眼差しを受ける人物たるべしと解釈しました。

残念ながら現実はその通りにはなりませんでした。むしろ真逆のケースが当り前の社会となっています。社会のエリートとなって、重要な地位を占めた彼等の多くが、拝金主義に塗れ、あげく問題発生時には責任逃れに汲々とする姿を見たとき、この国には、もはや「武士道」は存在していないと痛感しました。
さきの戦争で敗戦し、国民を奈落の底に落としめた指導者も、日本を代表する優秀なるエリートでした。いまさら「武士道」とは言いませんが、社会のエリートを自負する限り「ノブレス・オブリージュ」の精神は忘れて欲しくないと思っています。
 昨日、藤田まこと氏が岡田資中将役を好演した『明日への遺言』をDVDレンタルで再度鑑賞し、斯くも立派な軍人がいたことに改めて感激した次第です。

ヒストリー

HISTORY 自身で調査して、事実を確かめ「真珠湾本」を自費出版

自身で調査して、事実を確かめ「真珠湾本」を自費出版

私の社会人としての第一の人生スタートは、1961年3月、ケネディ大統領就任の年に高校を卒業、静岡県沼津市にある矢崎電線工業(株)入社から始まりました。 以降、矢崎資源、矢崎部品、矢崎総業各社に勤務、製品開発/試験/金属分析、生産、購買及び海外プロジェクトに従事。1986年から1988年末の2年半、当社メキシコ工場に勤務後、1989年末本社管理部門の品質管理室に転任。2005年品質管理室副室長退任までの44年間ということになります。この間、海外プロジェクト推進および当社海外工場の品質監査、海外得意先を中心に世界35か国ほどを訪問、多くの外国人と接する機会がありました。然し、近現代史(特に戦史)に興味はありましたが、会社一辺倒の生活から抜け出せず、歴史に正面から取り組むことはありませんでした。 先述しましたが、退職後にロバート・スティネット著『真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々』を読んだとき、これで真珠湾論争に決着が付いたと思っていました。ところが同本が、多くの歴史家、ジャーナリスト等により、フェイク本の烙印が押されていることを知りました。そこで、私自身で調査して、事実を確かめ「真珠湾本」を自費出版してみようと思い立ち、2013年5月に1冊目を、2020年11月に2冊目を上梓しました。以降、真珠湾史実の調査研究が私の第2の人生の軸を成しています。

PICTURE 01 カリフォルニア大バークレー校レストランにて

2013年7月2日

ロバート・スティネット氏とディナー

PICTURE 02 元ゼロ戦パイロット原田要氏宅にて

2015年4月21日

元ゼロ戦パイロット原田要氏宅にて

人生を変えた出会い

私の人生の大部分が会社生活であり、多くの方々より貴重なアドバイスを頂き感謝の念を忘れたことはありませんが、人生を変えたと言う程の出会いはありませんでした。
むしろリタイア後に始めた真珠湾史実調査の過程でお会いした以下の御三方を、わが師としてご紹介します。


そのひとりは、ロバート・スティネット氏です。生前オークランドに住むスティネット氏の自宅を3回ほど訪問し、面談、調査することが出来ました。氏の家は史料が一杯で書庫のような感じでした。壁には、氏が上梓したブッシュ大統領(父)の第二次大戦時の活躍を紹介した書籍George Bush: His World War II Yearsに対して、大統領がスティネット夫妻をホワイトハウスに招待、オーバルルームで感謝の意を伝えている写真が架かっていました。3回目にお会いしたとき、カリフォルニア大学バークレイ校のレストランで家内と共に3人で夕食をエンジョイしました。氏との出会い無くして一作目は出来なかったと思っています。

ふたりめは、調査のためワシントンの第二公文書館を計9回訪問しましたが、そこで知り合った職員のナサニエル・パッチ氏は、真珠湾のことに大変詳しく、訪問の都度、私の求めている史料探しに親切に対応して頂き大変助かりました。またその際、真珠湾史実に関し率直に意見交換することができました。さらに私の英文版完成時、各章毎に氏より懇切丁寧に貴重なご指摘をして頂きました。最後に、氏より、「このようなデータ主体の真珠湾本の作成アプローチは、正しい方向と思う」と言って頂きました。パッチ氏との出会いなくして、拙著の完成はなかったと感謝の気持ちで一杯です。

さんにんめは、拙著作成過程で長野県長野市お住まいの元ゼロ戦のベテランパイロットで真珠湾攻撃にも参加した原田要氏です。2015年4月と5月に2回お会いして、当時の戦闘の様子および、現在の心境等を聞くことが出来たことも大変貴重な出会いとなりました。

未来へのメッセージ

貴重な歴史の失敗を教訓とし、同じ失敗を繰り返さないことが重要です

ペリー砲艦外交で江戸幕府270年の鎖国が破られ幕府が滅亡、薩長中心の明治新政府が誕生したころは、強国が弱小国を植民地化する時代でした。そのため、新政府は殖産興業、富国強兵策を中心とした国家方針を打ち出しました。相応の陸海軍力を備えたころ、韓国の独立を巡り清国と争いとなり、日清戦争が勃発しました。日清戦争に勝利した日本は、今度は韓国支配権を巡り、帝政ロシアと争いとなり日露戦争が勃発、白人大国ロシアを破り世界を驚かせました。

日本は勝利の代償として満州の鉄道権益を得て、満州へ進出、更に満州国を建国した結果、中国との争いが激しくなり、盧溝橋事件を切っ掛けに日中全面戦争へと拡大、アメリカとの角逐が一段と強まり、終に真珠湾攻撃で日米戦争勃発、結果300万の犠牲者をだして全面敗北、それまでに得た全ての権益を失う破目となりました。

明治維新以降、1945年敗戦までの77年間、全力で格闘してきた日本の失敗はどこにあったかを、先入観を排して総括しなければなりません。また、戦後の75年間、幸い我が国は一発の弾丸も撃つことなく、平和裏に過ごすことが出来ました。

しかし14億を擁する共産主義国中国の台頭で、米国1強のパワーバランスが崩れ、米中の覇権争いが現実となった今、日米同盟の重要性が一段と認識される状況となってきました。とりわけ台湾を巡る米中の覇権争いは、即日本に直接影響を及ぼす事態となっています。

果たして日本は、次の75年間を一発の弾丸も撃つことなく、平和裏に過ごすことが出来るのか、重大な岐路に直面しています。今後難しい判断を迫られたとき、戦争に巻き込まれないようにするため、米中の狭間にあって、日本としての独自の判断を下していく度量が必要となります。
そのためにも、我が国が多大な犠牲を払って体験してきた貴重な歴史の失敗を教訓とし、同じ失敗を繰り返さないことが重要です。

真珠湾史実研究家 白松 繁

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