一食一句
五・七・五で伝わる母の味

No,022

佐倉 海桜

著者No,022 佐倉海桜

作品紹介

著者No,022 佐倉海桜

一食一句
五・七・五で伝わる母の味

佐倉 海桜

「母の味」を求めてたどり着いた答えは、
料理をつくるだけでなく風情を嗜むことだった

母がつくる料理はおいしくて愛情たっぷりだったことを覚えている。
戦後の食糧難の時代でも工夫を凝らしていろんな料理をふるまっていたらしい。
そんな母は正岡子規の俳句を詠むのが好きで、子どものころはよく聞いていた。

母が亡くなって数年後、今度は自分が母となり家族に「母の味」をふるまう。
そこで気づいたのは、「母の味」を再現するには風情が必要ということだった。

ふっくらお米の炊き方からおいしい出汁の取り方など基礎のところから、お弁当、絶品煮込みハンバーグまで時短メニュー、副菜、メイン料理、昔ながらの献立やみんなが大好きな献立を立てられる。

また、正岡子規の俳句も料理の雰囲気に合わせて掲載。俳句と一緒に料理を味わおう。

プロフィール

著者No,022 佐倉海桜

佐倉 海桜

作家名:佐倉 海桜
自著:一食一句 五・七・五で伝わる母の味

座右の銘

絶望のとなりは希望です(「希望の歌」やなせたかし詩集)
私が初めてやなせたかし先生の詩を拝読いたしましたのは、中学生の頃でございます。やなせたかし先生の御言葉通り、絶望のとなりは希望でございました。
 数十年の月日の随に、幾度となく人生の岐路に立たされ、底知れぬ絶望の淵でさ迷いながら小さな希望の灯火を見出すがごとく、絶望のとなりは希望でございました。身を以て体現者の一人となりました。

人生を変えた出会い

人が生まれて死ぬまでの生涯を人生と申しますが、その一生の中で自身の概念やライフスタイルを変えるほどの出会いは、如何ともし難い別れが伴うものかもしれません。
 私の心に深く刻まれた出会いは、自身の母です。私は、母の娘として生まれ育てられ、母が病に罹り亡くなるまでの数年間を共に過ごしました。

 母は、病魔に侵されながらも家族のために料理を作るのが好きな人でした。自分で歩けるうちは、毎日の献立を考え買い物に出掛けました。

 日々、母は料理ができることに感謝し食事を作り、皆で一緒にご飯を食べました。終われば、森羅万象に心から感謝。そして、合掌。母は、日常のありふれて変哲もない食事の有り難さと、人の心のあたたかさを身を以て教えてくれたような気がいたします。

 病気の我が身を嘆くより、誰かのために料理を作る母の後ろ姿は、桜が咲き誇り散るがごとく、凜とした古来の日本女性を彷彿とさせました。

 私は母と呼ぶ人の体内に宿り、この世に生を享けました。そして、母という一人の女性と出会い、永訣の朝に最愛の母に別れを告げました。

 すべては、碧空が広がるあの朝から始まったのかもしれません。

料理紹介動画

新しいメニューを加え、第二弾を考えております。3ヶ月ごとの新しいメニューの動画も更新し、私の料理、また名所を訪ね日本文化の良さと趣深い俳句の素晴らしさを紹介していきたいと思います。
次回の動画は、2019年の3月、8月、12月を予定しております。
よろしければどうぞご覧くださいませ。


「柿の炊き込みご飯」




「具だくさんみそ汁」





「卵かけご飯」