視覚
視覚野と視覚意識
次に視覚についてですが、視覚はまず光がものにあたって反射して、目の網膜の視細胞に到達することからはじまります。網膜に到達した光刺激の情報は、外側膝状体を通って(ここを通らないルートもありますが、意識との関係がはっきりしませんのでふれていません)、脳の後頭葉の一次視覚野V1(初期視覚皮質)に送られ、さらに高次の視覚野に行くわけですが、その際、形、色などの情報はV1→V2→(V3)→V4から側頭葉(下側頭連合野)へ送られる経路( 腹側視覚路)、動き、位置などの情報はV 1 → V 2 →( V 3)→ V 5 / M T 野(middletemporal)から頭頂葉(頭頂連合野)へ送られる経路(背側視覚路)が構成され(その間に情報の統合が行われ)、最終的にはこれらの情報が前頭葉の前頭前野へ送られて、記憶情報との照合が行われ、視覚情報として知覚される(意識化される、意識にのぼる)、つまり見える、と考えられています(V3は接続の様式が難しいので括弧としています)。私達は何かを見たとき、見た瞬間に見えたと感じるわけですが、このように視覚意識の成立には(対象についての視知覚体験が生じるまでには)、網膜に光刺激が到達してから視覚皮質までの情報伝達や、その後の処理に一定の時間を要しているわけですので、対象に目を向けた時点とそれが見えた時点とが全く同時ということではなく、理論的には、見えるまでには時間的な遅れが生じていると考えられるのです。ただ私達は、見えるまでにある程度の時間がかかっているということを、ふつうは認識していない、視線を向けたと同時に見えた、つまりリアルタイムに見えていると感じているのですが、これはなぜなのかということについて私の考えをのちほどお話ししたいと思います。
ここで、視覚野の機能についてごく簡単にお話しいたします。まず一次視覚野V1ですが、ここにはさまざまな傾きをもった線分に対応する細胞が並んでいて、視覚対象の輪郭や表面構造などを、おそらくは平面的にと思いますが、いかにも線で忠実に表現するようなイメージとしてとらえていると考えていただければと思います。その後、高次の視覚野に行くにしたがって、色や表面性状(きめ)、奥行きや立体構造などの形態、位置や動きなどの要素が認識され、それらが統合されていって、視覚映像として完成していくと考えられます。ちなみにこの場合、視覚情報が統合されて完成された映像が、脳内のどこかに局在化していくような領域があるのか、または局在化ではなくそれぞれ分散された状態で認識されるのかに関しては、まだよくわかっていません。
視覚誘発電位の測定
それではどのくらいの時間でものが見えるようになるのか、ものが見えるまでにはどのくらいの時間がかかっているのか、ということですが、これに関しては一般に、100~400ミリ秒くらい(3)ではないかといわれています。ちなみに、何らかの視覚刺激が提示されてからすばやくボタンを押すという、「反応時間」の測定では、反応時間は180~200ミリ秒、または200ミリ秒±50ミリ秒などといわれています。この場合、理論的には、この反応時間から刺激に反応してボタンを押すまでの時間を差し引けば、純粋に視覚刺激が提示されてからそれが見える(視覚意識としてはっきりとしていない場合もある)までにかかる時間というのが計算できるはずです。

視覚誘発電位の測定(4)(網膜に光刺激を与えて、脳に生じる電位を頭皮上の電極で記録するもの、視覚系の機能の異常などを検出するのに役立ちます。私はこの電位は、視覚情報が脳皮質で処理され、伝達されていく過程での刺激情報の局在を反映していると考えています)には、フラッシュ(閃光)刺激によるものと、パターン反転刺激(白黒の格子縞模様を1Hz程度で反転させる)(図3)、によるものとがあります。フラッシュ刺激の場合、網膜に光刺激(閃光)を与えてから、最初に記録される脳の視覚皮質での電位は、約30~40ミリ秒後とのことです。ただこのフラッシュ刺激による方法は、同一個人差や個体差が大きく、解析が難しいとのことで、一般的にはパターン反転刺激のほうがよく使われているとのことです(ちなみにパターン反転刺激の白黒の格子縞模様のような図柄は、人目を引きやすいといいますか、パッと目に入ってくるといった感じで、私達の視覚は反応しやすい、無意識的に注意が向きやすい図柄といえるのではないかと思います)。このパターン反転刺激を網膜に与えると、脳の後頭葉に、約75ミリ秒後、約100ミリ秒後、約145ミリ秒後に電位が生じます。実際には頭皮上の電極で、陽性に検出される電位をP(Positive)で、陰性に検出される電位をN(Negative)で表し、これらの電位はN75、P100、N145などと表記されますが、陽性、陰性の機能的な解釈は難しいということもあり、ここではP、Nの表記は省略いたします。サルの研究から、約75ミリ秒後と約100ミリ秒後の電位は、一次視覚野V1に関連する反応(一般的には、V1では100ミリ秒後がはっきりした電位とのことです)、約145ミリ秒後の電位は、V1からV3にかけての視覚野の広い領域に関与する反応とされています。(5)つまり、網膜に刺激が与えられてから約145ミリ秒後くらいですと、視覚情報はまだ後頭葉の視覚野内にあるということになりますので、この時点では、まだ前頭前野に情報が送られる前の段階と考えられます。この節の最初に申しましたが、視覚の感覚意識が生じるために、前頭前野に情報が送られ記憶情報との照合が行われることによって、視覚感覚として完成し、それが認知、知覚されるというのが一般的な考え方と思われますので、このことから考えますと、145ミリ秒後くらいの時点においては、視覚感覚としてまだ意識にはのぼっていない段階と考えられるのです。
次にパターン反転刺激ではなく、文字と顔の認識についてお話しします。文字と顔の認識は(身体の認識もとのことですが)、一般の物品や景色などの認識とはややちがうということかもしれませんが、文字、顔、(身体)の認識に特異的に関連した脳領域があると考えられています。この脳領域は、文字と顔に関しては、下側頭葉の後方にある、紡錘状回といわれる部位です。
まず文字(漢字や仮名)刺激が視覚的に提示された場合について簡単にお話しいたします。文字の認識に関しては、まず一次視覚野V1で処理されたのち、音韻的に認識される(発音から認識される)経路と、形態的に認識される経路(視覚的イメージ)に分かれるといわれています。(6)漢字は主に形態経路で、仮名は音韻経路と形態経路の両方で処理されるとのことです。形態的な認識の経路は、さきほどの下側頭葉の後方の紡錘状回にある視覚性単語形状領域(visual wordform area:VWFA、文字認知に関連する脳領域)に送られます。視覚誘発電位の測定からは、文字が提示されると、まず後頭部(V1と思われます)に100ミリ秒後に電位が生じ、その後、VWFA近傍で左側(左脳側)優位に約170ミリ秒で電位が生じるとのことです。このことから推測されることは、漢字を見た場合、その認識には170ミリ秒くらいかかっていると考えられることです。これは、漢字がその意味とともにはっきりと知覚されるのに、170ミリ秒くらいかかっていると考えられる測定結果といえます。
次に顔の認識についてお話しします。顔認知に関連する脳領域として、やはりさきほどの下側頭葉の後方の紡錘状回顔領域(Fusiform face area:FFA)が知られています。顔刺激が提示されると、100ミリ秒後の後頭部V1の電位のあと、FFA近傍の後頭側頭溝から約170ミリ秒後に電位が記録され、さらにFFAから約200ミリ秒で電位(他の測定方法です)が記録されます。やはりこのことから、誰かの顔を見たとき、その顔が認識されるのには(おそらく顔自体の形態的な認識に)、少なくとも170ミリ秒くらい、さらにはっきりとした認識(おそらくはその人が誰であるのか、知っている人なのか、など)には200ミリ秒くらいはかかるということではないかと考えられます。
ここでさきほどの疑問、つまり、理論的には見えるのに時間がかかっているはず、タイムラグがあるはずなのに、見た時点でリアルタイムに、視線を向けたと同時に見えたように感じるのはなぜかということですが、このことを考える前に、視野ということの理解が必要と思いますので、まず視野についてお話ししようと思います。
中心視野と周辺視野
ここで、視野ということを考えてみます。視野には中心視野と周辺視野とがあります。中心視野は、視野の中心から約2度という狭い範囲の領域で、網膜上で中心窩という、視細胞の中の錐体細胞の最も密な部分に対応しています。中心視野で対象をとらえることで、高い解像度で対象を認識できます。私達はふだん、詳細な視覚情報を得るために、常に対象を中心視野でとらえようとしています。ちなみに、中心視ではっきりと見るには、はじめに視線を合わせてから、そのあとでピント(焦点)合わせが必要です(図4)。

次に周辺視野についてですが、周辺視野は中心視野よりも外側の領域で、ここでは対象を詳細にはとらえられません。周辺視野では、視野内のある部分に注意を集中することはできますが、ピントを合わせることはできません。周辺視野のうち、中心から20~30度くらいまでを、有効視野といって、とくに認知にかかわる領域と考えられています。中心に近づくほど解像度は上がるとされていますが、それでも中心視と比べると、形態や色などはっきりとはとらえられず、ややぼやけた不鮮明な見え方となります。周囲のだいたいの状況をとらえるということになりますので、周辺視野では誤認が生じやすいと考えられます。周辺視野で人がいるかと思って、中心視野でとらえたら、壁にかけてある衣服だった、などのようなことです。したがって周辺視野では、真にボトムアップ的な認識は困難で、不明瞭な部分を脳が補わなければならないので、基本的にトップダウン的な認識となります。思い込みも起きやすいでしょう。視点を動かさずに、周辺視野のある部分に注意を集中することはできますが、それでもはっきりとした認識は難しいと思います。ただ、周辺視野の特徴として、動きに対する知覚は鋭敏であることがわかっています。また、輝度といって、光るようなものに対する感度はいいようです。例えば、夜空でやや暗く光る星や、夜間に道端で、月明かりなどでうっすらと見えているような白っぽいもの(石など)は、中心視野で見えていなくても、周辺視野では見えるということがあります。これは、桿体細胞の働きによるものです。さらに、広い範囲にわたって見えるので、視野の全体像を把握することができ、視空間的な位置や配列などの情報はとらえやすいといえます。これらのことは、いかにも進化の過程において、敵を察知して逃げたり、獲物を追いかけたりするための重要な働きに関係しているように思います。ちなみに、運動視といわれる、動きをとらえる視覚機能がありますが、とくにoptical flowといって、自分が動くことによって周囲の景色が変わっていくような場合に生じる動きでは、例えば車を運転しているとき、前方の車のあたりは中心視でとらえていますが、周囲全体の景色は自分に近づいて広がっていくように見えています。この周囲の景色が広がっていくような、放射状の動きを視覚的にとらえることで、自分が前に進んでいるという知覚が得られますが、この動きは狭い中心視野だけでとらえることはできません。周辺視野で広い範囲でとらえることで知覚できるものです。このように周辺視野も重要な機能をもっています。中心視野と周辺視野との共働によって、さまざまな状況に的確に対応した視覚が得られているものと思います。例えば建物(家など)を見たとき、全体的な形態は周辺視野でとらえられ、さらに中心視で局所を詳細にとらえるという共働的な認識が、瞬間的に行われていると考えています。
ちなみに私達はふだん、周辺視野で、あれ、と気になるところに、すばやく目や頭を動かして、気になった対象を中心視でとらえようとしています。この、すばやく中心視を移動させ、瞬間的に対象をとらえる眼球の動きをサッケード(急速眼球運動)といいます。周辺視野で、ある対象に注意が向くと、150~250ミリ秒で眼球が動き、その対象を中心視でとらえます。サッケードは、速くても1秒間に3回ほどといわれ、いったん視線が対象に向けられると、次のサッケードの開始には200ミリ秒程度必要で、その間は不応期といわれます。(7)この約200ミリ秒間は、対象に視線を固定する(固視)ということとなります。ちなみにふだん私達が、まわりの景色が全体的に明瞭に見えているように感じるのは、サッケードなどによって、いつもあちこちに視線を移動させて、周囲全体を中心視野でとらえているからでしょう。
ここで、視覚がいつも連続的で、視線を動かしても常にリアルタイムに見える理由の一つに、周辺視野での視覚の成立、周辺視野での見え方が速いということがあると思います。中心視野では対象を高解像度でとらえるために、対象が詳細(明瞭)に見えるまでの視覚処理(視覚の詳細化、または明瞭化と表現しようと思います)に時間がかかっているはずだと考えられます。それなのに視線を向けたと同時にリアルタイムにはっきり見える(ように感じる)のはなぜなのかという疑問がここで生じるわけです。でも周辺視野ではこの視覚の詳細化の処理が必要ないため、視覚化が速いのではないかと思われるのです。周辺視野だけを考えてみますと、どんなに速く視線を動かしても、周辺視野は不連続にはならず、常に連続的に見えていることを実感できます。
まずこのことが、視界がいつもリアルタイムに見えていることに関係しているのではないかと考えています。
ちなみに周辺視野では視覚化が速いと考えられる一つの例として(これは周辺視野が動きに対する感度がいいということもあってだと思いますが)、野球でピッチャーが投げる球を周辺視野でとらえたほうが、中心視野でとらえるよりも、バッターは球を打ちやすいということがあるようです。(8)
次に周辺視野での視覚の成立に時間がかからないと考えられることの理由についてですが、これには記憶情報との照合という点が関係していると思います。私達はふつう、注意を向けているのは中心視野においてであって、周辺視野はその付随的な状態ということはよくあると思います。ふだん中心視野に注意が向いていて、中心視野での記憶情報との照合は厳密に行われるわけですが、その際の周辺視野での記憶情報との照合にはそれほど負荷がかかっていないように思われます。むしろ中心視野に注意が集中しているときに、周辺視野での視覚映像に記憶情報との照合がどの程度なされているのか、つまり、常に周辺視野全体において、記憶情報との照合が詳細になされているのかどうか、ということになると思います。もちろん、周辺視野のある部分に注意が向けられた場合は、その部分での記憶情報との照合というのは精密に行われるとは思いますが、いつも周辺視野の全体に注意が行きわたっているというわけではないように思われます。つまりふだん周辺視野の全体が意識にのぼっているというわけではなく、注意が向けられた部分(だけ)が意識される、周辺視野の中で注意が向けられた領域が記憶情報との照合がなされ、それとほぼ同時に意識されるというわけです(つまり周辺視野では、注意が向かない部分は記憶情報との照合はされていない、視線を向けた時点では、まず少なくとも有効視野の外側では、記憶情報との照合はされていないということと考えています)。ただ、周辺視野は見え方が不明瞭なので、トップダウン的な認識となり、ボトムアップ的な厳密な記憶情報との照合というのはもともと難しいといえるかと思います。基本的に記憶(長期記憶)の中にある映像というのは、ほとんどが中心視野かその周辺の有効視野でのもので、有効視野よりも外側の周辺視野での映像というのは、ふつうは記憶されていないように思います。したがって、周辺視野においての記憶情報との照合といっても、もとは中心視野または有効視野で記憶された情報との照合ということになると思います。このように周辺視野では、記憶情報との照合という処理での負担があまりかからないと思われ、このことからも視覚の成立が速いのではないかと考えられるのです。認識を実際の文脈という側面からとらえると、中心視野では常に文脈に則していますが、周辺視野は注意が向いて意識された時点で文脈に入るということと考えています。
それでは周辺視野はどのくらいの時間で見えている、視覚として成立しているのでしょうか。そのことを考える前に、視覚の時間分解能(認識できる最も短い時間)についてふれておきます。私達の視覚での時間分解能は、約30ミリ秒といわれています。ですので、それよりも短い時間間隔は識別できません。例えば蛍光灯は1秒間に100回(または160回)点滅を繰り返しているとのことですが、それを視覚的にとらえることはできません。また、視覚情報が複雑なほど視覚処理に負荷がかかり、時間的な識別能としては30ミリ秒よりも長くなると考えられます。映画は1秒間に24コマの静止画像が次々と映されるもので、連続的な映像に見えます。だいたい40ミリ秒程度に1コマとなりますが、1コマ1コマを識別できません。ちなみに静止画像を短い時間間隔で少しずつずらして提示していくと、なめらかに動く連続的な映像に見えますが、これには仮現運動が関係しています。仮現運動とは、例えば点の位置を少しずつずらして提示していくと、点が移動したように感じる現象のことです。このことも、映画での映像が連続的に見えることに関与しています。
視覚の時間分解能が約30ミリ秒ということと、周辺視野が常に連続的に見えているということを考えると、その時間(約30ミリ秒)と同じくらいの速さで周辺視野では見えている(視覚化がされている)のではないかと考えたくなるところです。ここで視覚誘発電位の測定では、フラッシュ刺激で約30~40ミリ秒後、パターン反転刺激で約75~100ミリ秒後(約60ミリ秒後のこともある)が、網膜に刺激が与えられてから最初に視覚皮質で記録される電位ですので、このことから、周辺視野では約30~40ミリ秒くらいで見えているのではないかと考えたくなるところです。
再び視覚化の時間、実際の見え方とのちがい
ではもう一度、見えるまでにはある一定の時間がかかっているということを詳しく説明してみようと思いますが、さきほどの視野のところでもふれましたが、中心視野と周辺視野とを比較した場合、中心視野では対象を詳細(または明瞭)にとらえる必要があり、周辺視野ではこの必要はないので、理論的には周辺視野よりも中心視野のほうが視覚化には時間がかかるのではないかと考えるのが妥当かと思います。ですので、見えるまでに一定の時間がかかるという表現は、基本的には中心視野において使われるものと考えてよいかと思います。
次に、中心視野において見えるまでにある一定の時間がかかる理由を詳しく説明してみますと、少なくともまず視覚情報が網膜から入って、それが一次視覚野V1に到達するよりも前の時点ではまだ見えていないはずだという考え方は妥当のように思います。ここで視覚誘発電位の測定から、網膜から刺激が入って最初に視覚皮質V1に情報が到達するまでの時間で、最も速いのが30~40ミリ秒ということで、さきほどのお話のように周辺視野ではこのくらいの時間で見えていると考えてもよさそうに思いますが、中心視野においても同じようにこのくらいの時間ではっきり見えると考えることは、理論的に無理があるように思います。なぜなら対象を詳細にとらえるには、少なくとも初期視覚野から高次視覚野に情報が送られる必要があると考えられ、初期視覚野に刺激が到達したはじめの時点ですぐに詳細に見えるとは考えにくいからです(周辺視野は、どんなに時間をかけてじっくり見ても、注意の移動ができるだけで、基本的にはいつまでも最初に見えた映像と同じように見えていて、詳細化〔明瞭化〕はしません。このことからも周辺視野のほうがはやく見えていると考えることは妥当と思われます)。高次の視覚野に情報が届くには100ミリ秒以上かかり、V1~V3付近で145ミリ秒くらいと考えられるので、中心視野の詳細な視覚化には、そのくらいの時間がかかりそうなのですが、実際には見えるまでにそれほど時間がかかっているようには思えませんので、中心視野ではいつの時点から見えているのかということが、さらに疑問となるわけです。
ちなみに、もし中心視野で見えるまでに100ミリ秒以上かかるとして、その間何も見えていないと仮定した場合、さきほどの時間分解能からしても、そのことは認識できてしまう、つまり一瞬見え方が(軽く)とぎれてしまい、視覚が一瞬不連続と認識されてしまうこととなるでしょう。しかし中心視野においても、主観的には視線を向けた瞬間にはっきり見えていて、いつも視覚は連続的でリアルタイムに見えているわけで、一瞬でも不連続に感じることはありません。これはどうしてなのかということが次の問題となるわけです。まとめますと、視線を向けてから視覚刺激が最初に大脳の視覚野に到達するまでは見えていないはずで、さらに視覚野に到達したのち、初期視覚野から高次視覚野に進まないと詳細(明瞭)には見えないはずなのに、これらの過程は認識されず、視線を向けた瞬間にリアルタイムにはっきりと(明瞭に)見えるように感じるということです。このように、理屈から考えられる状況と、実際の知覚との間に、くいちがいがあるということとなるわけです。
一瞬だけ目を開けたときに見える映像
では実際の見え方で、最初から何が見えているのか、例えば視線を向けてから100~145ミリ秒以内(またはその付近)ですでに見えているのか、見えているとすればその映像とはどのようなものなのかについてですが、これは一つの考え方なのですが、例えばずっと目をつむっていて、ある時点で瞬間的に目を開け、すぐ閉じる行為、いわば瞬目(目を開けていて、一瞬閉じること。瞬目は百数十~二百数十ミリ秒程度といわれています)の逆となるわけですが、こうすると何が見えるでしょうか。この時目が開いている時間は、どれだけ速く目を開けて閉じるかにもよりますが(もちろん一瞬だけしっかりと目を開けることが前提です)、とにかく瞬間的なはずで、このときの見え方としては、簡単に言いますとはっきりとは見えないというか、一瞬だけ不明瞭な見え方がするように感じます。このことが意味しているのは、このとき一瞬だけ、中心視野で不明瞭な映像が見えているということではないかと思っています。このように一瞬だけ目を開けてすぐに閉じると、見え方としては、瞬間的に不明瞭の状態のまま見えなくなりますが、このときそのまま目を閉じず開け続けていると、ふつうにはじめからはっきりと見えているように感じます。このことは当たり前のようにも思われますが、よく考えると不思議なのです。目を開けてすぐに閉じることと、目を開けてそのまま開け続けることとでは、目を開けるところまでは同じで、どちらもまず見えるわけですが、その後すぐに目を閉じると不明瞭に見えて、そのまま目を閉じないと、その最初の不明瞭な映像は見えず、はじめからはっきり見えているように感じるということです。ふつうに考えますと、目を開けて見えたところまでは同じなので、どちらも同じように最初は不明瞭な見え方がしてもいいように思うのですが、目を閉じないとその不明瞭な映像は見えないのです。なぜこの両者は、最初は目を開けるという同じ行為なのに、見え方がちがうのでしょうか。目を開け続けると、最初に不明瞭に見えるはずの一瞬の映像はなぜ見えないのでしょうか。目を開けるときの眼瞼を開くスピードは、どちらの場合もあまり変わらないように思いますので、目を開けた時点での状態はどちらも同じと思われ、この時どちらも同じ映像が見えるはずではないかと思われるのですが。ちなみに目を開けてすぐ閉じる場合の瞬間的な時間というのは、おそらく100~200ミリ秒程度と思います。今中心視野での見え方を考えていますが、目を閉じていて開けるとき、瞳孔の収縮による光量調節や、ピント合わせなどの問題はあるでしょうが、そのような要素を抜きにした状態でも、やはり目を開けた瞬間に見えて、次にすぐ目を閉じると不明瞭のまま見えなくなる映像というのは、中心視野での最初の見え方なのではないかと思われるのです。つまり、目を開けて瞬時に閉じると見える不明瞭な映像は、理論的には中心視野で最もはじめに見えているはずの映像ではないかと思われるのです。もしそうだとしますと、中心視野でもはじめから明瞭に見えているわけではないといえると思うのです。
つまりこのことは、はっきりと見えるのにある一定の時間がかかっていることの一つの証拠になるのではと思っています。そしてそのときそのまま目を開け続けていると、その不明瞭な映像は見えず、最初からはっきりと明瞭に見えているように感じられるわけですが、これはなぜなのでしょうか。つまり目を開けた瞬間には、最初は不明瞭な映像が一瞬見えるはずなのに、目を開け続けるとそれが見えないという理由についてです。これに関してはまたのちほどお話ししようと思います。
ところで、この瞬間的に目を開けてすぐ閉じたときに、周辺視野での見え方はどうかといいますと、有効視野のあたりでやや不明瞭に見えるように感じますが、それより外側の周辺視野では、ふつうに見たときとあまり変わらないように思います(つまりもともと周辺視野では不明瞭ですので、それと同じように見えるということです)。だとしますと、少なくとも有効視野よりも外側の周辺視野では、パッと目を開けてから、すぐ次の瞬間に目を閉じようと開いていようと見え方はあまり変わらないということで、はじめからふつうに見えているということとなり、つまり周辺視野では見え方が速いということになるのかと思います。
サッケードについて
前にふれましたが、サッケードは基本的に周辺視野での対象に瞬間的に視線を向け、対象を中心視野でとらえるものです。これには反応性のものと意識的なものとがあり、反応性サッケードの場合は、対象をとらえてから、次のサッケードの開始まで、約200ミリ秒間の不応期(サッケードを開始できない時間)があるとのことです。つまり約200ミリ秒の間、対象に視線を固定する(固視する)こととなります。また、サッケードは速くても1秒間に3回程度とのことです。このことは、逆に考えますと、中心視野で対象を詳細(明瞭)に知覚するためには、そのくらいの時間(百数十〜二百ミリ秒程度)がかかっているということにもなり、さきほどからの、中心視野ではっきり見えるまでにある一定の時間がかかっていることが、このことからもうかがえるように思います。
それでは仮に、サッケードで対象をとらえてから、それをはっきりと知覚するのに必要と思われる百数十~二百ミリ秒よりも速く、他に視線を移動させたとした場合、そのときの中心視野での見え方はどのようになるのでしょうか(意識的サッケードではこれは可能ですが、ふつう日常ではこのようなことはあまりされないと思われるわけですが)。これは、1秒間に4~5回以上視線を移動させたらどうなるのかとも言い換えられるでしょう。仮にそのように速く対象から視線を他に移動させたとしても、中心視野にぽっかり穴があいたり、暗くなったりしてそこだけ見えないというようなことは経験されないでしょう。つまり、中心視野で見えるためには相応の時間がかかっているはずなのですが、そのかかるはずの時間よりもはやく視線を他に移してもその対象は見えるわけで、ということは、そのかかるはずの時間よりも前の時点ですでに見えているということになるわけです。ただこの場合の見え方は、やや不明瞭だとは思います。この場合、仮に見える時間が、視線を向けてから145ミリ秒くらいよりも前で見えているということになると、視覚野の途中、例えばV1~V3付近かそれよりも前ですでに見えていると考えるしかないかと思われるわけです。
視覚誘発電位から考える中心視野での視覚化
今までふれたように視覚誘発電位の測定などから、視覚情報が網膜から視覚野に達するまで、速くても30~40ミリ秒後で、明らかな初期視覚野V1での電位が約75~100ミリ秒後、V1~V3付近での電位が145ミリ秒後、そのあとで、文字では文字関連領域に約170ミリ秒後、顔では顔関連領域に約(170~)200ミリ秒後に電位が生じるという知見から考えられることとして、視覚情報がある程度完成するのにはだいたい145~170ミリ秒くらいかかり、そのあとで前頭前野に情報が送られると考えると、記憶情報との照合がなされて知覚として完成するのには少なくともだいたい170ミリ秒程度、場合により200ミリ秒程度かかりそうに思われます。でも、さきほどからのお話で、実際には主観的に見えた、それもはっきりと見えたと感じるのに、視線を向けてから170ミリ秒もかかっているようには思われず、100~145ミリ秒程度ですでに見えているような印象です。もし100~145ミリ秒程度で見えているとしますと、その時点では、刺激はまだ視覚野V1~V3付近と考えられますが、この段階ですでに見えていると考えないとおかしいわけです。では、この時点で見えているとすれば、それはどのような映像となるのでしょうか。記憶情報と照合がなされて完成する前の不明瞭な映像ということなのでしょうか。もしそうだとした場合、それは実際の文脈に沿った映像といえるのでしょうか。ただもしこのときの映像というのが不明瞭なものだったとしても、ふだん見え方がやや不明瞭となることはよくあるわけですので(例えば動きが速いものを見たり、対象にピントが合っていなかったりした場合には不明瞭となるでしょう)、視覚野の途中の段階(V1~V3)だから不明瞭となっているのかどうかについては、わかりづらいように思います。さらに時間分解能から考えますと、100ミリ秒後よりももっと速く見えているように感じられます(約80 ミリ秒程度でも、見えていない状態があれば、視覚は一瞬不連続となると考えられるからです)。また再度申しますが、もし170ミリ秒よりも前に見えているとすれば、記憶情報との照合がなされる前にすでに見えていることとなると思われ、一般にいわれているように、記憶情報との照合がなされてから知覚されるという考えとはちがっているように思います。さらに、もし記憶情報との照合がなされる前に見えるとすれば、その映像というのはどのようなものなのか、文脈に則した映像なのかということも疑問ではあります。ただ145~170ミリ秒後くらいですと、高次の視覚野での処理は進んだ段階と考えられますので、映像としてある程度完成していることは考えられます。ちなみに前に申しましたが、周辺視野では30~40ミリ秒程度で見えているということは考えられるように思いますが、中心視野で30~40ミリ秒後程度の時間では、明らかに必要な情報処理がなされる前の段階なので、その時点ではっきりと見えることは、理論的には考えにくいのです。
このように、いつ、どのように映像が見えるのかについては、いろいろと考えられ、また、疑問も生じます。
参考文献
- 3)人間の視覚系による映像情報の処理 西田眞也 2008年
- 4)誘発電位測定マニュアル2019 日本臨床神経生理学会編集 2019年 診断と治療社
- 5)視覚誘発電位の定量解析に関する研究 後藤和彦 2014年
- 6)読み書き障害の2重回路説の進展 櫻井靖久 2018年
- 7)視覚情報提示のための時空間統合知覚特性の研究 渡邊淳司 2005年(国立国会図 書館HP)
- 8)脳百話 動きの仕組みを解き明かす 松村道一 小田伸午 石原昭彦編集 市村出版
2003年
| 「意識」と「認識の過程」 【全7回】 | 公開日 |
|---|---|
| (その1)意識のゆりかご─意識はどこで生まれるのか | 2025年10月31日 |
| (その2)視覚 | 2025年11月30日 |



