私の視覚経験、中心視野のタイムラグと視覚持続
私は自分の経験から、このことを考えてみようと思います。まず私は、中心視野が見えるタイミングが周辺視野よりも明らかに遅かった、つまりタイムラグがあったという経験をしています。これは、一瞬サッケードで対象をとらえたその瞬間に、視線を他に移動させたのですが、この瞬間に周辺視野での映像は見えましたが、中心視野での対象の映像は見えなかったというものです。この際の状況ですが、私が夜に車に乗って、道路で止まっていたとき、ふだん私はスピードメーターの文字盤を見ないようにしていたのですが(はずかしいのですが私は個人的な理由でスピードメーターの速度を表す数字をふだん見ないようにしていたのです)、そのときそのことを忘れていて、たまたま視線がスピードメーターに行ってしまったのです(サッケードで視線を移動させた、意識的なサッケードでメーターをとらえてしまったということです)。このとき私は、一瞬「しまった」と思って、その瞬間スピードメーターを見ないようにしようとしたのですが、サッケード(視線移動)を途中で止められなかったので、一瞬視線がスピードメーターに向いてしまったのですが、次の瞬間すぐに視線をバックミラーに移したのです(とにかくあせってスピードメーター以外のところを見ようとしたのです。意識的サッケードは、不応期を必要とせず、すぐに視線を他に移すことができます)。そしてバックミラーを見た直後のその瞬間に、暗いバックミラーに明るいスピードメーターの数字が見えたのです(夜なのでライトをつけていて、メーターの数字も明るくなっています)。このときのことをよく考えてみますと、(自分で不本意に)スピードメーターをサッケードでとらえて視線を向けていた時間は、おそらく30~ 40 ミリ秒間以上、60~80ミリ秒間以下程度ではないかと思っています。このとき、スピードメーターに視線を向けた瞬間は、周辺視野での映像は見えていましたが、中心視野でのメーターの数字は見えず、ただ暗い感じでしたが、次の瞬間バックミラーに視線を移動させた瞬間、周辺視野でバックミラーが見えているその中央に(明るい)メーターの数字が見え、さらにそれがしばらく持続したのです。中心視野でバックミラーに視線を移動してから、明るいスピードメーターの数字が見えていたその時間は、スピードメーターに視線を向けた時点から、おそらく80~百数十ミリ秒後くらいで見えはじめ、その後170~200ミリ秒弱くらいの間持続して見えていたように思います。このことは、いったん視線を向けた時点で網膜にスピードメーターの数字の視覚情報が入り、それが視線を移動させたバックミラーのところの視界で視覚化した(見えた)ということと思っています。つまり、網膜にいったん入った(中心視野での)視覚情報が、処理過程を経て視覚感覚として成立し、視線を他に移したところで見えたということと思います。さらに実際にメーターの数字をとらえていた時間よりも長く見えていたように感じましたが、これはのちほどふれますが視覚情報保存(視覚持続)によって視覚が持続したのではないかと考えています。
通常は、視線を向けたところで見えるわけですが、いったん網膜に刺激が入ると、それは脳に到達し、一連の情報処理が進行し、視覚化される(見える状態となる)はずで、ここでもし視覚化される直前に視線を変えたとした場合、その瞬間というのは、理論的には視線を変えるその直前に網膜に入っていた刺激がまだ脳内にある状態と考えられるわけです。それなので視線を変えた瞬間の視界の中に、その直前に入っていた脳内の視覚情報が視覚化される(見える)という現象が、中心視野で起きてもおかしくないと考えられるわけです。でも実際にはふだんこのようなことは自覚されません。ふつうは視線を移動させたところの映像しか見えないでしょう。これはなぜなのでしょうか。いったん網膜から入ったはずのこの直前の視覚情報はどうなってしまったのでしょうか。もちろん視線を移動させてから、その直前の映像が見えたとしたら、ふつうは不自然となるでしょうけれども(そこでの周辺視野の映像の真ん中に、直前の中心視野での映像が入り込むことになるからです)。これは、直前の中心視野での映像が、次に視線を移動させたところの視界の中に入ってこないように脳が調節しているということなのでしょうか。また、あとでふれますが、感覚情報保存(視覚持続、アイコニックメモリーと同義)という現象が実験で確かめられています。この視覚持続は、刺激が網膜に入ってそれが見えてから(視覚成立後)、100~200ミリ秒程度その視覚映像が持続しているというものです。このことから考えても視線を移動させたあとで、直前の映像(中心視野での映像)が見えることは理論的にはありうると考えられます。ただこのように視線を移動させたところの視界の中に(周辺視野の中に)、直前の中心視野での映像が視覚化して見えるためには、ふつうはこれは不自然な映像となってしまうので、不自然とならないための何らかの条件が必要なのではないかと思っています。例えば自分の経験でのように、直前の数字が車のスピードメーターのように電光で明るくなっていて、次に視線を移動させたところが暗い状態というような場合などです。このように(視線を移した)次の視界での映像(周辺視野と中心視野での両方の映像)を妨げないような状態でなら、直前の中心視野での映像が次の視界で視覚化されることもありうるのではないかと考えています。
ちなみにこのように瞬間意識的にサッケードでとらえ、すぐに視線を他に移して、中心視野での映像が見えないようにしようとして、その後自分で意図的に何回もやろうとしたのですが、どうしてもできず、視線を向けた時点で、中心視野でも見えてしまいます(これはふつうのことですが)。意図的にやろうとしても、どうしても時間がかかってしまうためにできないということと思いますが、さきほどのように、もし視線を向けてから、30~40ミリ秒以上で60~80ミリ秒以内に視線を他に移せれば、周辺視野では見えて、中心視野では見えないという状況をつくれると思っています。それではこのように周辺視野では見えて、中心視野では見えないという状態がつくられたとした場合、中心視野の部分にはどのような映像が見えるのでしょうか。自分の経験では視線がスピードメーターをとらえた瞬間には文字盤の数字は見えず、ただ暗い感じに思われましたが、これは夜だったからかもしれません。一般にこのようなときは、中心視野はごく狭い範囲ですので、周辺視野だけで全視野のほとんどが見えているわけで(有効視野も周辺視野に含めます)、その中央部分に、本来見えるべきもの(中心視野でとらえたはずの対象)が見えていない状態ということになると思いますが、中心視野の部分にぽっかりと穴があいたようにはなっていないように思います。
私の視覚経験、記憶情報との照合
また、自分の経験なのですが、私がある日、もらったおにぎりを食べていたとき、中に黒豆があちこちにちらばって入っているのを見ながら食べていました。残り3分の1くらいになったときに、かじったおにぎりの断面に、(突然)黄色いものが見え、一瞬「何だろう?」とドキッとしたのですが、次の瞬間それが栗だとわかってほっとしたのです(これはほんの一瞬のできごとでした。もともとおにぎりに栗が入っていることは知りませんでした)。あとからそのときのことを考えてみますと、最初に何か黄色い物体のでこぼこした断面が見え(このときはまだ記憶情報との照合がなされる前の映像と考えられます)、何かがわからずドキッとした瞬間がおそらく、おにぎりをかじって栗の断面が現れてから、100~145ミリ秒後程度で、すぐ次の瞬間にそれが栗の断面だとわかって、ほっとしましたが(このときは記憶情報との照合がなされたあとの映像と考えています)、このときが約170~200ミリ秒後程度だったのではないかと考えています。ですので、記憶情報との照合がなされる前の映像が一瞬見え、ビクッとした「これ何?」という不安は、だいたいですが数十~百数十ミリ秒間程度のことだったと思います。この際の、最初に見えたときの黄色い物体としての断面と(これは記憶情報との照合がされる前の映像と考えています)、その直後に見えた栗とわかったときの断面(記憶情報との照合がされた後の映像と考えています)とを、自分なりに比較してみますと、大きなちがいはないようにも思います。これは単に、何であるかがはっきりわかって見る場合と、何だかわからなくて見る場合のちがいということかもしれません。さらによく思い返しますと、最初に黄色い断面が見えたその直前の一瞬に、タイムラグがあったように、つまりおにぎりをかじってから黄色い断面が目に入ってくるまでに、ほんの一瞬それが見えていなかった時間があるように感じられたのですが、もしそれが真実なら、その時間は約80~100ミリ秒間以内くらいということと考えています(ちなみにその際の一瞬の不安感など、感情の出現〔の知覚?〕は、非常に速いと考えています)。
私の視覚経験、顔の知覚
次に顔の認識に関してですが、私は、顔の認識にやや時間がかかることを、何回か経験しています。ほとんどが職場でのことで、あるとき水道で手を洗っていると、誰かが音もなくすぐ横に立っているのがわかり、はっとしてその人の顔を見上げた瞬間。また、人がいるとは知らず部屋に入ろうとしてドアを開け、中に人が立っていて、はっとしてその人の顔を見た瞬間。また、自分が部屋にいて、人が入ってきてその人の顔を見た瞬間など、いずれも誰だか予測できない状況で、とっさにその人の顔を見た瞬間(つまりサッケードで顔をとらえたその瞬間、ほんの一瞬だけ顔がわからない、見えないという状態だったのです)。このとき顔以外の周辺視野でとらえた状況(顔以外の身体や周囲の景色)はもちろん全部すぐにわかりました。そして顔も直後にわかるのですが、明らかにタイムラグが認識できました。その遅れはだいたい200ミリ秒弱くらいと思われました。また、飲食店にいて、ふと窓から外を見たとき、すぐ近くに車が止まっていて、運転席に乗っていた人の横顔(中心視野でとらえた顔だけ)が、ほんの一瞬、見えるのが遅れたのを認識したことがあります(このとき視線はぴったり顔に合っていて、はじめからピントも合っていたように思います)。このときのタイムラグはやはり200ミリ秒弱程度だったと思います。もちろん顔以外の周辺視野での映像(車や景色など)に遅れはありません。私はこれらの経験で、中心視野での顔の認識に、やや時間がかかることを認識したのですが(かかるといっても200ミリ秒弱程度です、これは視覚誘発電位の測定からも考えられる時間です)、このような経験はごくまれで、ふだん遅れは全く感じません。また、近くにいる人の顔や、こちらに向かって来ている人の顔を意図的にとっさに見たりしても、顔の認識に時間がかかることを、どうしても自覚できませんでした。おそらくとっさの予期していない状況などで、認識の遅れを自覚できることがあるのではないかと思っています。この際、認識のスピードが速くなり(このことはのちほど道路での飛び出しのところで申します)、一瞬の時間を認識できる、つまり、顔がまだ認識できていない瞬間を知覚できるということではないかと思っています。ところでこの際、周辺視野では見えていて、顔だけが一瞬わからなかったときに、その顔の部分には何が見えていたのかということですが、自分であとから考えてみて、顔の輪郭のような部分だけが見えたように感じたり、そこだけやや暗い感じがしたりしたことなどがありましたが、確実な認識はできませんでした。この一瞬の見え方をとらえるのは難しいと思いました。
自分の経験から考える視覚と時間
以上のような自分の経験も含めて、視線を対象に向けてから、周辺視野では30~40ミリ秒程度で見え、中心視野については、V1で明らかな電位が生じる75~100ミリ秒後以降で見え(はじめ)ると考えられ、映像として(だいたい)完成するのに145~170ミリ秒程度、記憶情報との照合がなされて知覚としても完成するのに170~200ミリ秒程度かかるのではないかと考えられると思っています。また、はじめの30~40ミリ秒から60~75(または80)ミリ秒程度の間では、周辺視野では見えていて、中心視野では見えていないという状態となっていると考えるのが妥当のように思います。ただ日常生活で、中心視野での見え方にそれほど時間がかかってはいないように思えますし、ふだん、見えていない時間が一瞬でもあるようには、どうしても思えません(周辺視野での見え方は速く遅れません。中心視野での見え方が遅れたり、一瞬見えなかったりということは自覚されず、全視野が最初からリアルタイムに見えている〔ように感じる?〕のです。もしも80ミリ秒間程度でも見えなければ、一瞬見え方は不連続となるはずです。なぜこのように、理屈と実際の見え方とがちがっているのかということを、もう一度考えてみようと思います。
視覚情報の統合と視覚感覚
ところで、前の体性感覚の場合に、皮膚での感覚意識が生じるのに500ミリ秒くらいかかっているはずなのに、その感覚意識が生じたタイミングは、初期EPの時点(皮膚刺激とほとんど同時)まで前戻しされるという実験結果があり、初期EPは、刺激の場所と時間的なタイミングを提供するというリベットの考察がありました(私は、まず初期EPの時点である種の感覚が生じ、約500ミリ秒後に成立した感覚と統合されて、一つの完成した感覚となるのではないかと考えています)。このことをもとにして考えますと、もし中心視野での視覚においてもそのような現象が起きているとしたら、見えたというタイミングがその分速くなると考えられるのではないかと思っています。視覚情報の詳細化(明瞭化)に約145~170ミリ秒、そのあと記憶情報との照合で約170~200ミリ秒くらいはかかると思われる視知覚の完成(成立)という過程において、一般的には記憶情報との照合がなされてから知覚として認知されるといわれていますが、その前の段階の、おそらく刺激情報が視覚野V1、V2、V3付近の段階で、(不完全な状態かもしれませんが)すでに見えているのではないかと考えられるのです(これは、視覚的意識の形成において、視覚野と、前頭葉プラス頭頂葉は、ネットワークとして同期的に活動しているとのことですので、視覚野の途中の段階でも視覚意識が生じる可能性があると思われるからです)。そうだとしますと、この場合も、完成した視覚での感覚意識が前に戻るというより、感覚としてやや不完全な状態から、記憶情報との照合がなされて完全な視覚感覚となるまでの過程において、すべて融合されたような形となって、最終的に一つの明瞭な視覚感覚として意識される(見える)ということとなるのではないかと考えています。ある幅の時間間隔をもった感覚が、一つの感覚に統合されるという現象があると考えられますので(時間的な統合窓)、このことからも、刺激が視覚皮質に到達したはじめの段階(V1~V3付近)での感覚と、記憶情報との照合のあとでの完成された感覚とが、ある時間的な範囲で統合されて、一つの感覚として意識されるということで、説明できるように思います。この場合、記憶情報との照合がなされて視覚感覚として完成するのには170~200ミリ秒程度かかると考えられるわけですが、実際に見えるタイミングは、V1またはV1~V3付近に刺激が到達したと考えられる時点(約100~145ミリ秒後)となるわけです。ただ、このタイミングより前の時点、例えば75~100ミリ秒後くらいまでもが時間的に統合されていて、このときにすでに見えたと感じているのか、または75~100ミリ秒くらいではまだ見えてはいないのかということについてですが、もし見えていないとすれば、その一瞬だけ視覚(中心視野での視覚映像)が不連続となるように自覚されるはずで、それが自覚されないのはなぜかということが疑問点となるわけです(図5)。

前にふれましたが、目を閉じていて、一瞬開けてまた閉じると、不明瞭な映像が瞬間見えますが、そのまま開け続けるとその映像は見えず、はじめからはっきりと明瞭に見えていたように感じるわけで、これもさきほどの考え方のように、目を開け続けると、最初の不明瞭な見え方が、次のはっきりした明瞭な見え方と統合されて、最初からはっきりと明瞭に見えていたように感じるということではないかと考えています。この一瞬目を開けてすぐ閉じたときの不明瞭な見え方は、時間的に100~145ミリ秒程度での見え方で、そのまま目を閉じなければ記憶情報との照合がなされる約170~200ミリ秒後の段階となって、それらは統合され、はじめからはっきりと明瞭に見えることとなると考えています。
ここで、進化の過程で、現在のように膨大な記憶情報が蓄積される前には、記憶情報との照合過程にはそれほど負荷がかかっていない時代もあったかと思われます。さらにさかのぼって考えますと、記憶情報との照合がされるよりも前に、見えていた時代というのも、あったのでしょうか。そのように考えてみますと、見えるということ(視覚意識)は記憶情報との照合という過程が生じる前から存在していて、ある時点で記憶情報との照合の過程が生じ、記憶量が蓄積され膨大化していく中で、それにかかる時間が増えていったとも考えられるかもしれません。だとしますと、記憶情報との照合の前にすでに見えているという考えは妥当なのだと思いますが、記憶情報との照合の過程を経ることで知覚として完成するということは確かだと思います。ですので照合の前後で見え方が変わる可能性はあるということと思います(もちろんこの過程はほんの一瞬ですから、見え方が変わったとしても、認識できないかもしれません)。ちなみに、周辺視野での視覚化では、最初の時点では基本的に記憶情報との照合はされていないので、視覚化が(見えるのが)速いのではないかと考えました。そして周辺視野で注意が向けられた領域で記憶情報との照合がなされるのではないかと考えました(そうだとしても、周辺視野では見え方が不明瞭なため、厳密な記憶情報との照合は困難とは思われましたが)。つまり周辺視野では記憶情報との照合がされていなくても見えるということと思います。進化の過程で、中心視野に対応する中心窩の領域が発達する前、現在の中心視野に相当する領域での見え方は、周辺視野での見え方と同様だったようにも考えられます。周辺視野での見え方が、記憶情報との照合がされなくても見えているとすれば、もともとは中心視野の領域でも記憶情報との照合がされない状態で見えていたとも考えられます。ただ中心視野では情報の詳細化(明瞭化)と厳密な記憶情報との照合が必要となっていく過程で、それらの成立にかかる処理量と時間が増大していったということとも考えられると思います。
視覚でのトップダウンとボトムアップ
ここで仮定としての話ですが、誰かが森林や草原のようなところで、自然の草や木をあちこち見ている状況のときに、実際にはこのようなことはないわけですが、目の前の1メートルくらいのところに急に何か全く関係ないもの、例えば20センチくらいの大きさのドラえもんの顔が現れたとします。このときその人がそれをとっさに中心視野でとらえたとして、最もはじめの瞬間は何が見えたのかはよくわからないはずで、まず形と色とが目に入ったような感じでしょうが(記憶情報との照合前の映像の知覚と考えます)、でも次の瞬間、170~200ミリ秒後くらいで、記憶情報との照合がされ、それがあのドラえもんの顔だとわかったことでしょう。ふだん日常で、このように一瞬(といっても百数十~二百ミリ秒程度)何だかわからないということは、ほとんどないように思われ、何かを見れば、見た瞬間にそれが何かがわかるように思います。これはおそらく、ふだんはトップダウン的な認識が主に働いているためではないかと考えています。例えばこの例のように、もともと森林の中にあるものは、トップダウン的に、すべて見た瞬間に知覚できるでしょう(木の名称や種類など知識的にわかるということもあるでしょうが、視知覚としてすぐはっきりと明瞭に見えるということです)。これは、脳はその視覚的な認識において、トップダウン的に植物という範疇から対象を検索しているので(森林の中にあるのは植物だからです)、記憶情報との照合が速いためと考えられます。このことは、前頭前野から高次視覚野のV4やMT野にトップダウン信号が送られているとのことで、これによって認識が制御されている可能性があるためとも思われます。しかし、ドラえもんは植物の範疇にはなく(ドラえもんに精通している人ならすぐわかるでしょうが)、森林の中で目の前に急に出現したドラえもんを視覚的に認識、知覚するためには、まずいきおいボトムアップ的な認識が生じ(はじめ顔の形状や色などが認識されたのち)、記憶情報から対象を探しだして(検索)、それと照合するまでにやや時間がかかり、すぐにドラえもんと認識できない場合もあると思いますし(170~200ミリ秒程度の間)、もしもドラえもんをご存じなければ、照合できない状態で知覚が完了するということとなると考えられます。トップダウン的な認識の場合には、記憶情報の中で、さきほどのようにある程度予測される内容の中から検索するために、そのぶん照合が速いということではないかと思われます。そうしますと、ふだんはトップダウン的認識に依存しているほうが、知覚が速いために有利ということとなるでしょう。また、ボトムアップ的な認識の際にも、精通しているかや注意の度合いによってその速さにちがいが生じ、よく精通していたり注意の度合いが強いほど記憶情報との照合が速く、認識も速くなるようにも思われるのですが、注意と認識の速さとの関係はわかりません。
前述の私の経験で、栗の断面が見えた際、はじめの一瞬は何か黄色い物体の断面が見えドキッとしましたが(記憶情報との照合がされる前と思われる映像が見えたわけですが)、ふだんこのように、照合される前の映像が一瞬見えるような経験はあまりされないでしょう。この照合前の映像が見えることについては、あとからの「危険の察知」のところでお話しいたします。このように一瞬記憶情報との照合前と思われる黄色い物体が見え、その直後それが栗として見えほっとしたわけですが、ふつうは、以前に申しましたが、視覚野V1~V3付近での記憶情報との照合前の感覚と、記憶情報との照合がされてからの感覚とは統合(融合)されて、統合後の完成した一つの感覚として知覚されると考えられ、統合前の映像は見えないと考えられました。ところで、はじめの(統合される前の)視覚映像が、統合されるとそれは見えず(知覚されず)、統合後の完成した視覚映像しか見えないことの真の理由はわからないのですが、視覚での逆行性のマスキングのような現象が起きているのでしょうか(逆行性マスキングとは、後続の刺激の知覚によって、先行する刺激に対する知覚がされなくなるというものです)。または、ふだん記憶情報との照合の前後(統合の前後)で両方の映像は見えていることがあって、それらに少しのちがいがあったとしても、気付かないということもあるのでしょうか。トップダウン的ないわば先入観をもって見ている場合は、最初から脳内の記憶情報からの(照合後の)映像が見えてしまうような印象もあるのです。例えば先入観をもって文字を読むと、全然ちがう字(もともと頭の中にあったと思われる文字)に読んでしまったりすることもあると思います。
例えば今までに見たことのないようなものを急に見た場合など、記憶情報にないため厳密な検索、照合ができないと思われる場合は、それに近い情報をもとに認識され、感覚として成立することとなるように思います。ちなみにこのような場合は、感覚成立に時間がかかりそうなので、統合前の映像が一瞬見えそうにも思うのですが。
道路への飛び出しのときの視覚
ここで、車を運転中の少年の飛び出しに対する反応についてですが、リベットは、皮膚感覚が500ミリ秒程度たってからでないと生じないという知見から、(仮に時速50キロメートルで)運転中の人が、少年が飛び出したのを見てブレーキを踏んで車を止めたと表現したとしても、少年が飛び出してから、それが見えるまでに500ミリ秒程度かかるとすると、その間に6~7メートル進んでしまうこととなり、それからブレーキを踏むとなるとかなり進んでしまってからでないと車は止まらないことから、実際には、まずブレーキを踏んだあとで、500ミリ秒後に少年が見えたという知覚体験が生じたのだという意味の記載をしています。
私の視覚経験、運転中でのこと
また私の経験ですが、細い道を車で運転中に、対向車とぶつかりそうになったときのことをお話しいたします。細い道で、右に大きくカーブしていて、道路の右側は林のように草木が茂っていて、先が見通せない状況で走っていましたが、そのとき急に目の前に対向車が現れたのです(対向車との距離は10メートルくらいでしょうか)。その際の私の車と対向車との相対速度は約60~80キロメートル/時くらいと思われました。私はとっさにブレーキを踏み、回避するためハンドルを左に回して、対向車とすれちがったのですが、このときに私が見たことを、忠実に思い出してみますと、まず目の前に何かが影のように急に現れ、その形は、何となく輪郭と、前面付近の構造が、いわば手書きの黒い線のように不完全なものに見え、これが見えたのとほとんど同時に、私はすでにブレーキを踏み、ハンドルを左に回していました。次の瞬間、対向車は、私の車の右側を通っていて、すれちがう瞬間でしたが、このときには、車としての形状もわかり、色もついて見えたと思います(このときは、右側を通る対向車を周辺視でとらえていたと思います。対向車が何色だったかは忘れました)。この経験から自分なりに、はじめに対向車が目の前に現れて、まだはっきりとは(明瞭には)見えていない状態でブレーキを踏んでハンドルを回したのが、対向車が現れたように感じてから150~200ミリ秒程度だったのではないかと思っています。また、対向車が右側ですれちがうときには、500~600ミリ秒から1秒くらいたっていたように思います。ここで、最初に対向車が現れたときに見えた瞬間の映像は、その構造が線で描かれたような感じだったのですが、いかにもこれはV1での知覚を反映しているように思われました(V1ではさまざまな傾きの線分を認識する細胞が並んでいるとのことですので、ここでの認識を考えるならば、いわば形状を線で表現したような印象となるのではないかと思っています)。だとしますと、この瞬間にV1付近での視覚映像が見えたということなのかと考えられるようにも思います。
このことに関しては、「危険を感じた瞬間に物事がスローモーションに見える」という現象が考えられます。これは、危険を感じると時間精度が上がり、同じ時間でも長く感じられるというものです。つまり、脳の情報処理のスピードがアップし、必要な状況をすばやく認識し、瞬時にとるべき行動を判断できるということではないかと思います。つまり、この際、視覚の機能は自動的に外界の刺激をとらえているはずですが、情報処理過程の早い段階での視覚映像が認識、知覚され、瞬時にブレーキを踏む行動につながるということとなるのです。
ものすごくせっぱくしているような、瞬間的にたいへんあせっているような状況の際に、一瞬の時間がとても長く感じられることがあるように思います。このように時間経過の認識が、主観的な側面をもっているといわれています。この際、脳の働きが活発になって、情報処理が速くなり、思考が速く展開するために、同じ時間でも相対的に時間経過としては長く感じられる(外界のできごとが遅く感じられる)ということではないかと思われます。
ボトムアップ的認識では危険の察知が視覚に影響する
さきほどふれましたが、私の経験で、対向車が見えた最初の瞬間というのは、何かが急に目の前に現れたという感じでしたが、道路での飛び出しの場合も、最も早い段階でそれを知覚し、即座にブレーキを踏まなければならないので、おそらくは少年がはっきりと見えるよりも前の早い段階で、何かが急に飛び出した、という感じで知覚されて(最初の瞬間)、同時にブレーキが踏まれたということではないかと思われます(少年が飛び出してから100~145ミリ秒程度で知覚されるということと考えます)。
この際の見え方は、記憶情報との照合がされるよりも前の、視覚野の早い段階での視覚情報と考えられるのですが、さきほどの「危険を感じた瞬間に物事がスローモーションのように見える」ことから考えますと、道路への飛び出しの場合、まずはじめは(少年は)周辺視野で知覚されるのではないかと思われます(周辺視野は動きに対する感度がいいです)。周辺視野で知覚された人をサッケード(中心視野)でとらえる際、周辺視野でとらえた段階ですでに危険を感じていると考えられますので、脳の情報処理のスピードがアップし、サッケード(中心視野)でとらえた対象の視覚情報処理は自動的に進行していくわけですが、その瞬間に必要とされる最も早い段階での視覚情報が取り出され、それが知覚され(見えて)、すぐにブレーキが踏まれたということとなるのではないかと思います。おそらくこの際の最も早い段階での視覚映像というのは、私が経験したようにそれが対向車とすれば、色も形もまだはっきりとは見えていない段階での見え方ではないかと思われるのです。つまりさきほどのように、危険が感じられると、急に脳での認識のスピードが速くなって、視覚の情報処理過程の途中の早い段階での(まだ不明瞭な)映像が見えるということではないかと思います。ふつうは記憶情報との照合がされたあとの統合された映像が見えるわけですが、危険が感じられると統合される前の映像が見えるということと考えます。これによって緊急性のある危険な状態をすばやく知覚し、すみやかに行動を起こすことができると考えられます。ちなみにさきほどの黄色い物体の断面が一瞬見えたときも、不安となった瞬間、「危険の察知」と同様の機序で、照合前の映像が見えたということなのかもしれません。
網膜から視覚皮質への伝達
ところで網膜は画像データを数十ミリ秒単位でパルスに変換しているとのことで、それが視覚皮質に向けて送られているということと思います。視覚の時間分解能が約30ミリ秒ということを考えますと、少なくともそれと同じくらいの間隔では情報が送られ、視覚野で処理され、それらが統合されていくことで、連続的な映像として外界がとらえられているということになるのではと思っています。
次に、クロノスタシスという現象について私の考えをお話しいたします。これは時計の秒針を見たとき、本来秒針が止まっているはずの時間よりも長く止まって見える現象です(秒針をサッケードでとらえる場合もあると思います)。この現象の理解としてわかりやすい考え方は、たまたま秒針が動き出す瞬間のすぐ直前に秒針を見ると、そのとき秒針は止まっているわけですが、その止まっている秒針の視覚情報は網膜から視覚野に到達し、約170(~200)ミリ秒程度で記憶情報との照合がなされ見える(実際には100~145ミリ秒程度で見えている)わけですが、それが静止画像として見える前に(視覚化される前に)すでに秒針は動いています。つまり、秒針が動いた瞬間には、直前の止まっていたときの映像が脳内で情報処理される途中の段階なので、その時点ではまだ動きは見えていないと考えられるわけです。ですので、本来秒針が動いているはずの時点で、止まって見えるということになるわけです。
このような観点から考えますと、外界の視覚情報が、視覚化に100~145(または170~200)ミリ秒程度かかるとすると、その時間分だけ視知覚としていつも遅れているということとなるわけです。ここで時計の話に戻りますが、仮に秒針が止まっている間、最初から最後まで見ていたとして、中心視野でとらえている限り、すべての映像は同じように遅れているので(見た瞬間の最初の映像も、最後の映像も、同じように遅れて知覚されるので)、その差を考えると同じとなり、長くは感じられないはずです(秒針が止まっている時間が長くは感じられないはずです)。秒針が止まっている時間が長く感じられるためには、予測された以上に長く止まっていると感じることが必要です。このためには、中心視野でずっと秒針を見ているとそれは感じられないはずですが、例えば視線を動かしている際にふいに秒針を見たとして、秒針が止まったのを有効視野を含めた周辺視野で知覚したあと、中心視野で秒針を見ると、その現象が感じられることがあるのではないかと思われるのです。この理由ですが、周辺視野は視覚化が速いと考えられますので、秒針が止まった時点を周辺視野で知覚して、次に秒針が動く瞬間を予測して中心視野で見ていると、中心視野では知覚が遅れるので、次に秒針が動く瞬間の映像が見えるタイミングが予測よりも遅れ、その結果クロノスタシスの現象が起きるのではないかと考えられるのです。視線を動かしていると、ある対象が中心視野で知覚されたり、周辺視野で知覚されたり、いつも変わると考えられます。この際の両視野での、視覚化の時間的な差によってクロノスタシス現象が起きているのではないかとも思われるのです。秒針が止まった時点を周辺視野で知覚し、秒針が動いた瞬間を中心視野で知覚すると、周辺視野は30~40ミリ秒程度で視覚化し、中心視野は100~145(170~200)ミリ秒程度で視覚化するとした場合、その視覚化の差だけで60~110ミリ秒程度あると考えられますので、クロノスタシスの現象が起きる可能性があると思われるのです。
また、秒針が動いている間にそれを見た場合は、あまり遅れが感じられないように思われるのですが、この際には運動視といって動きをとらえる機能が働くと考えられますが、おそらく運動視のほうが、静止画像としてとらえるよりも、見え方がやや速いのではないかと考えています。視覚誘発電位の測定から、運動視刺激で後頭側頭部V5/MT野付近(後頭葉と側頭葉の間あたり)に150~200ミリ秒で電位が生じ、さらに複雑な動き(放射状optic flow)では頭頂葉に240ミリ秒で電位が生じるとのことです。V5/MT野は、ランダムなドット(複数の点)の動きの中から、コヒーレント運動をする(同じ方向に動く)ドットを検出する能力をもつとのことですが、このV5/MT野が機能するには、それよりも前(150~200ミリ秒よりも前)に、もっと低次の視覚野のレベル(V1付近)でドットの動きが検出されている必要があるのではないかと思われるので、その意味で運動視は見え方が速いのではないかと考えているのです。まず低次のレベルで動きが知覚され、さらに高次のレベルで統合されていくと思われるからです。このことから、秒針が動いているときに見ると、遅れは感じられないということになるのではとも思っています。
この節では、視覚感覚について、周辺視野での見え方が速いことと、中心視野での情報処理にかかる時間が感じられない理由として、記憶情報との照合の前の早い段階から見えていて、記憶情報との照合がされたあとの映像と統合され、一つに見えているからではないかと思われることをお話ししました。ただ視線を向けた瞬間に(中心視野での)視覚映像が全く不連続とはならない理由については不明です。また、危険を感じた際には、情報処理過程の途中のかなり早い段階(完成される前の段階)での、記憶情報との照合の前の映像を知覚でき、それによってすばやい対応、行動がとれるということなのではないかと考えられました。また、記憶情報との照合前の映像が認識できる場合というのは(道路での飛び出しの場合などを含め)、ボトムアップ的な認識の際ではないかと思われました。
| 「意識」と「認識の過程」 【全7回】 | 公開日 |
|---|---|
| (その1)意識のゆりかご─意識はどこで生まれるのか | 2025年10月31日 |
| (その2)視覚 | 2025年11月30日 |
| (その3)視覚 | 2025年12月26日 |
| (その4)聴覚 | 2026年1月30日 |



