著者プロフィール                

       
Ⅱ 脳と運動の相互作用 〜 動きと意識(その7)

西園 孝

県立浦和高校卒、山形大学医学部卒、三岳荘小松崎病院非常勤

好きな曲:Hey! Say! Jump 「Dear My Lover」
好きな俳優:吉沢亮
カラオケでうまく歌いたい曲:Mrs. Green Apple 「ライラック」

私はハゲカッパ、お茶の水はかせ、などといわれます。川に入るようスタッフに指示されるのはこのため。

Ⅱ 脳と運動の相互作用 〜 動きと意識(その7)


動きと意識との関係について

 心理学において、随意運動による動きと意識との関係には、次のA、B、Cのタイプがあるといわれている。

 A.何らかの動作、行為をやろうと意図しているが、実際の動き自体は意識されていない状態。この状態は日常において最もよくある状態と考えられている。たとえば食事をするとき、箸を持った手の動きなどはいちいち意識されていない。タイプを打つ時も手の動き自体は意識されていない。書字も同様で、ペンの動かし方がいちいち意識されているわけではない。つまり、ある行為の目的(課題、タスク)は意識されているが、そのための手足の動き自体が意識されているわけではない。随意運動は何らかの行動意図があって行われるもので、動きに対して意識されているように思われるかもしれないが、動きの自動化という状態があるので、随意運動であっても自動化された動きは無意識で行われている場合があるのは確かである。ただ意識されていない自動的な行為であっても、それを意識しようと思えば、しっかりと意識しながら行為を行うことができると考えられる。

 B.動き自体が意識されている状態。たとえばはじめて行う動作、行為などで、動きを覚えるときなど、意識しないとできない場合がある。踊りの振り付けとか、フィギュアスケートの動きであるとかは、動きそのものを意識しないと覚えられない、うまく動けない。このように動きを覚えるためにある程度努力して学習しないとできないこともある。ちなみに踊りの振り付けは、動きを言語的に認識して覚えているといわれる。これは「構音抑制」といって、たとえば「ダ、ダ、ダ」と言いながら踊りを覚えてくださいといわれると、覚えにくくなるという現象からわかる。また指示された行為を行う場合も、動きを意識する必要がある。この際、言語的に指示された場合も、動きを見せられて同じように動くよう指示された場合(模倣動作)も動きを意識する必要があるだろう。また料理の作り方など系列的な動作を覚える、習得する場合も動きを意識する必要がある。

 C.とくに目的や意図が意識されることなく行われる動き、無意識での動き。まったく意識されない状態で開始され終了し、そのような動きをしていたことを本人はまったく気づかないということもあるような動き。たとえば癖やしぐさといった動き、勉強しながらボールペンを指でくるくる回したり、何か考え事をしながら行ってしまう動き、また不安感など心理的に不安定になると、自然に手や体の一部を動かしてしまったり、うまくいかないことがあると手で頭をかいたり、不愉快な表情となったり(表情筋も随意筋である)、うそをついた時に視線をそらす行為など(かくそうとか心理的な影響のある動き、犯罪心理学などでいわれる動き)。また人とのコミュニケーションにおいて、ノンバーバルコミュニケーションというかたちで、たとえば話し合いで相手を説得しようとして思わず手を前方に振り出したり体を揺らしたりなどの行為も、会話に夢中であれば手や体幹の動きは意識されないだろう。また何回も行っていて、習慣化されている行為は自動化によって無意識的となる。

動きと意識におけるリベットの実験

 動作や行為などにおいて、まず動きの意図の意識があって、そのあとに動作、行為などを行うことは、随意運動において当然のことなのは確かだが、今から動こうとか、これから動かそうと思ってから動くということとは同じことなのか、これに関係した、動きと意識との関係を調べたアメリカの生理学者ベンジャミン・リベットの実験がある(12)

 回転する時計の針を見ながら、ある時点(自由なタイミング)で手首を屈曲させる動作を行って、実際の手首の動きと、動かそうという行動意図の意識との時間的関係を調べた実験である。頭皮上の電極から電位を記録し、実際の動きとの関係が調べられた。これによると、前もってある程度動かすことを予定したり計画したりしていた場合、実際の動きよりも800~1000ミリ秒前(0・8~1秒前、1秒=1000ミリ秒)から脳において活動の電位が起きることがわかった。また動きを予定したり計画したりするのではなく、(できるだけ)自然発生的に動かした場合、実際の動きの550ミリ秒前から脳の電位が起きることがわかった。また動かそうという行動意図は、実際の動きが行われる200ミリ秒前(0・2秒前。条件を修正すると150ミリ秒前〈0・15秒前〉)に意識されるという結果となった(図8)。

リベットはこれらの実験結果について、動きを予定したり計画したりすることと、「今動こう」とすることとは、ちがうことなのだろうと述べている。そしてこの実験結果から、行動意図が意識されるよりも350~400ミリ秒前から、すでに脳は動かすための活動をはじめているということがわかった。つまり私たちが動こうという行動の意図を意識するよりも、350~400ミリ秒も前から脳は動かすための活動をしているということになり、これは驚くべき結果なのだ。これによって行動意図が意識されるよりもずっと早い段階で、脳は動かすための活動をしている、つまり私たちが動こうという行動の意図を意識する前に、いわば無意識の段階で、すでに脳は動きのための活動をしているという実験結果となったわけである。これにより、私たちが動こうと意図する前に、脳は動きのための活動をしているということになり、一体私たちに自由意志はあるのかという議論となった。

 もちろん実際の動きの500~550ミリ秒前という、行動意図の意識よりずっと前(350~400ミリ秒前)から脳の活動があるという結果は衝撃的なことに間違いない。ただしこの実験結果の中で、解釈が難しい側面があると考えている。それは、「行動意図」が動きの200ミリ秒前(修正後150ミリ秒前)に発現されるというところである。

 この実験では、はじめから、動かそうと意識した時間を報告するという条件となっている。つまり、動きが開始される前に、動かすための意図が意識されているのだということが前提となっている。この点に関して、ふだんの私たちの行動を振り返ってみると、何か行動をしようとする直前の150ミリ秒前に、「さあ今からこの動きを行おう」というように、行動意図をはっきりと意識してから行動を開始しているだろうかということである。今から何々をやろうという行動の意図といわれるものを、動きの150ミリ秒前に、その都度顕在的に、宣言的に(言語化して)意識しているだろうか。「今からやりましょう」という意図を、誰かに伝えようとするならともかく、自分自身の中で、いちいち今からこれをやろう、そしてそのあとこれをやろうというように、動きの150ミリ秒前に、宣言的に、顕在的に意識しているだろうか(顕在的というのは、宣言的にまたは言語的になどのように、はっきりとした意識として頭に浮かんでいるということを意味する)。たとえば自分がある行為をやろうかどうしようかと迷ったり、ためらったりしているときに、内言語として、「さあやるぞ」と自分に言いきかせることはあるが、ふだん絶え間なく次々と多くの行為を行っている中で、たとえば食事をしながら新聞を読んで、誰かと会話もし、手を動かしながら足も動かし、外では歩いて自転車を押しながらスマホを操作し、店で買ったドリンクを持って飲みながら、一緒に歩く友人と時々話もしながら、歩行に注意するため周囲を見渡すために頭を動かしたりというように、とにかくたくさんの動作や行為を、次々と行っていて、そのような状況で一つ一つの動作や行為に対して、「さあ今から自転車を押すぞ」とか、「飲み物を飲むぞ」とか、「スマホの画面にタッチするぞ」とか、その都度それぞれの行為の直前の150ミリ秒前に、「さあこれから何々をやろう」、などといった行動意図をいちいち意識してから活動しているだろうか。ただこの際、直前の150ミリ秒よりもっと前の、800~1000ミリ秒前からの補足運動野での電位に関しては、リベットが言うように、行動の予定や計画という意味で意識にのぼっていると考えて問題ないと思われる。

 もちろん今考えているのは随意運動であって、行為の意図があって動くということは確かだが、リベットの実験で要求される、行為の直前の150ミリ秒前の意図の意識というのは、ふだんはむしろ潜在的で、これをいちいち顕在的に意識化するということになると、日常とは違う状況となると考えられる。つまりふだんは、「今から動こう」というような行為の意図を、いちいちすべての行為の直前(150ミリ秒前)に顕在的に意識しているとは思えない。つまりこのリベットの実験のように、被験者に、動かそうという行動意図を顕在的に意識してもらい(これは「今動こう」という、動きの直前の意図の意識ということである)、その意識された時間を、時計の針を見ながら確認してそれを記憶して、それを後で報告するという実験条件というのは、日常生活における行動パターンとは全く違う状況となると考えられるわけである。つまりこの実験というのは、被験者に対して、(ふだんは動きの直前の行動意図の顕在的な意識化というのはされていないけれども、そこを何としても)行動意図を顕在的に意識してもらって、その意識した時間を報告してくださいという課題となるわけである。このように指示されると、被験者としては、誰もがまずそう考えると思うが、「行動意図の意識というのは、実際の動きよりも時間的に前でないとおかしい、動きより前でないと矛盾する」という考えが起きても不思議ではないわけで、その認識というのはバイアスとなりうると考えられる。つまり被験者としては、まず動かそうという行動意図を意識してから、それから動くという順番にすることになるだろう。さらに、行動意図を意識してから動くまでに、ある程度以上の時間がたってしまうと、やはり不自然と感じられるように思われ、まず行動意図を意識して、そしてその直後に動くという行動を誘発する可能性がある。

 つまりこの実験は、もしも行動意図を意識してくださいと言われたら、それはこの時間(動きの200ミリ秒前、修正して150ミリ秒前)になりますよという、与えられた課題に対する(バイアスのかかった)結果となったという解釈となる。もともとふだんは行動意図として、動きの直前に時計を見ながら「今だ!」などとは考えていないわけで、そのように潜在的なはずの意識を顕在化させて、その時間を決めるとこうなります、という実験結果となるということしか言えないのではないだろうか。もっといえば、この実験のように、行うべき行為が手首の屈曲だけというような、単一で単純な動きだけであれば、直前に「今動こう」という意識を持とうと思えば持てると思われるが、ふだんの多くの次々と連続した行動、活動の中で、すべての動作に「今動こう」という意識をもつことは、おそらく不可能のように思われる。つまり、この実験結果で報告された時間が、行動意図が認識される本当の正確な時間ですといえるか、解釈は難しいと思われ、こういう課題が与えられたらこういう結果になりますよという、心理的なバイアスからつくりだされたものではないかと考えられる。

運動準備電位

 リベットの実験においての運動発現前の800~1000ミリ秒前、550ミリ秒前からの脳の活動というのは、運動準備電位といわれるものと考えられる。運動準備電位は、頭皮上の電極を用いて電位変化を調べることで測定され(13)、実際の運動の開始前に現れる電位なので、運動の準備に関係していると思われる。これには前期成分と後期成分とがある(図8)。はじめの緩徐な小さな振幅は前期成分で、運動開始の約1・5~2秒前から起こり(リベットの実験では運動開始の800~1000ミリ秒前からの電位)、両側の補足運動野から発生する電位と考えられている。それに続く急峻な大きい振幅は後期成分で、運動開始の約0・5ミリ秒前から起こり(リベットの実験では運動開始の550ミリ秒前からの電位)、運動肢対側の一次運動野から発生する電位となっている。

 リベットの実験と合わせて考えると、運動準備電位の前期成分である補足運動野の電位から発現する被験者に関しては(図8A)、補足運動野においての運動の予定や計画に関係した内容が意識されており、この活動が一次運動野に移行して後期成分となると考えられる。このように補足運動野で予定、計画された動きの情報が一次運動野に移行し行為が開始されるということになり、この場合は動きや行為が意識された状態のまま動きが開始されるということになると考えられ、動きの意識としてよくある一般的な経過のような気がする。ちなみに補足運動野を外部から刺激すると、ある特定の動作、行為をしたいという欲求が生じることが報告されている(4)

 しかしリベットの実験で問題なのは、約550ミリ秒前の、運動準備電位の後期成分から電位が発現する被験者が存在するという結果である(図8B)。この場合、動きと意識との関係の解釈が難しくなる。この行動開始の550ミリ秒前からの脳の電位は、行動を前もって予定したり計画したりせず、(ある時点で)できるだけ自然発生的に行動、行為を行った被験者で観察された電位ということである。リベットの実験結果においては、行動意図が意識されるのは運動開始の200ミリ秒前(修正され150ミリ秒前)で、その前は意識にのぼっていないと考えられるため、この運動準備電位の後期成分から発現する被験者においては、運動開始前の550ミリ秒前から150ミリ秒前の約400ミリ秒間(運動準備電位の後期成分の前から中頃、図8)は意識にのぼっていない、無意識の状態であると考えられるという結果となった。つまりこの間は、無意識の状態(動かすための意識がされていない状態)ですでに動くための脳活動がはじまっているということになり、私たちの自由意志というのは本当にあるのかという議論につながった。しかし、これまでのことから、この約400ミリ秒間が本当に無意識かということには疑問が生じる。「行動意図が150ミリ秒前」という考え自体が非日常的だからである(全くゼロの状態から150ミリ秒で行動が起きることは考えにくい)。たとえば、ある時点で手首を屈曲させてくださいという条件が一瞬意識されたりなどである。

ふだんの動きと行動意図の意識

 ではふだんの生活において、行動意図の意識と動きとの関係はどうなっているのかを、もう一度推察してみると、随意運動に関しての行動意図は明らかにあるが、その都度、運動開始直前の150ミリ秒前に行動意図が意識されているとは考えにくいので、やはりリベットの実験での運動開始の800~1000ミリ秒前(一般に1・5~2秒前)の補足運動野の段階で行動意図が意識されていて、それによって動きが発現すると考えるのが最も妥当ではないかと思われる。たださまざまな行為を次々と実行しているということに関しては、補足運動野においてある行為の意図が意識され、それが一次運動野に移行し、行為が行われるが、このとき同時に、次の行為が補足運動野において意識され、一次運動野に送られ実行されるということが、次々と繰り返されているということではないかと考えられる。ちなみに前にふれたように、補足運動野は記憶からの自発的な動きに関係している。外部刺激による視覚誘導債の動き(何かを見てすぐ動くような動き)もこれらに加わるのだろう。

動きはいつ開始されるのか

 先ほどのように、ふだんの動作、行為は、補足運動野での記憶誘導性の動きだけではなく、外部からの視覚的な刺激によって動作、行為が開始されることも多い(この際は運動前野が機能する)。この場合に動作、行為というのがいつ開始されているのかを考えてみる。

 たとえば目の前にあるテーブルのコップの飲み物を手に取って飲む場合、もちろんまずそのコップを見るという感覚の知覚が先だが、いままでの内容のように、動きの直前に「さあ今から手を動かしてコップを手に取って飲み物を飲もう」とまず考えてからコップに手を伸ばすわけではなく、飲もうと思った時にはすでにコップに向かって手は動いているという印象である。つまりコップの飲み物を見たときに飲もうと意図すると、ほとんど同時にすでに手はコップのほうに移動している。(飲み物を見て)飲もうという意図の意識と手の動きの認識とは、いわばほとんど同時に意識される。もちろんコップを見てから飲もうと思い、少しの時間をおいてからコップを取れば、その順番は、はっきりと意識されるが、ふだんの何気ない行為においては、決して意図の意識が先で動きが後になるという、はっきりとした順番では認識されないように思う。

 ちなみに動きの認識というのは、前にも述べたが、今手が動いているという認識は感覚の知覚であって、視覚的なそして関節や腱や筋紡錘からの深部感覚による体性感覚的な知覚である。手の動きの認識は感覚の知覚であるから、動きの感覚というのは、実際に手が動いてから認識されるものである。つまり動きというのは、動く前には認識されず、動いてから認識される。

 ところで感覚の知覚には時間がかかり、はやくても体性感覚であれば約50ミリ秒から150ミリ秒前後、視覚であれば約150から250ミリ秒前後かかる。そして飲もうと思った時には、すでに(ほとんど同時に)手はコップに向かって動いていて、そのとき手が動いていることが認識されるが、飲もうと思った時にはすでに手は動いているという状態なので、ふだんの何気ない生活において、動きはじめの真の最初の瞬間というのは、ふつうはとらえられない。そしてコップを手で持つために動こうとしているというより、のどがかわいたから飲もうと思っただけで、すでにコップに手が伸びているということになる。この場合も動き自体が認識されるのではなく、飲もうという目的(動きの課題、タスク)が認識されると、それとほとんど同時に(自動的に)必要な動作、行為が発現されるということとなる。

 動こうという行動意図が、動きの直前150ミリ秒前くらいに認識されてから動き出すということではなく、厳密にはまずコップの飲み物を見る、飲もうと意図する、コップを手に取る行動を開始するという順番にはなるが、動作、行為の意図を意識することとほとんど同時に、すでに必要な動きが開始されているということになると考えられる(図9)。もちろん意図的に行為の開始をいくらでも遅らせることはできる。まとめると、ある行動意図が何らかのかたちで認識されると、気づいた時にはすでに動きは開始されていて、今その目的によって動いているという動きに対する知覚がほとんど同時に意識される。このときの意識内容としては、思った通りの動きが正しく行われているということが確認できるということになるのだろう(行為のセルフモニタリング)。

 つまり動く前に行動意図を意識するということよりも、すでに行動が開始されてから、実際に思った通りの行動が正しく行われているかということが認識され、さらに行動の結果が期待通りだったかが認識され、意識されるということのように思われる。これは行動意図を意識することより、実際の行動がうまくいっているかと、行動の結果がよかったかの確認の認識のほうが大切であり、行動意図自体がはっきりと顕在的に意識にのぼって確認されていることよりも、行動の遂行状態とその結果がはっきりと意識にのぼることのほうが重要で合理的ということではないかと思われる。

 もちろん行動の意図というのは、どのような動きかという、動きそのものの内容のことではなく、期待される結果を得ることで、「目的」イコール「結果」ともいえる。「行動の」目的は「行動の」結果である。

道路への飛び出し

 いつ行為が行われるかということに関して、自動車の運転と道路への飛び出しの状況を考えてみる。時速40~50キロで走行中、見通しの悪い道路のわきから車の前に急に飛び出しがあった場合、誰が飛び出したのか、全体像をはっきり確認してからブレーキを踏んだのでは遅い。顔の確認には中心視野で170~200ミリ秒くらいかかる。緊急の場合には、何かが飛び出した、という認識のもっとも初期の段階で急ブレーキが踏まれ、車が止まってから何者が飛び出したかがわかるという順番になると考えられる。しかし運転者は、「小さな男の子が飛び出したから急ブレーキを踏んで止まりました」と報告する。実際には「小さな男の子」とはっきりと認識される前に、ブレーキは踏まれている。この場合には、最も早い認識の段階でブレーキが踏まれているが、ブレーキを踏んでいる最中に(つまりブレーキを踏む行為を開始してから)、「止まろうとしてブレーキを踏んでいる」と認識することになる。「あれ誰か飛び出したからブレーキを踏もう」としっかりと考えてからブレーキを踏むわけではない。中心視野の視覚の成立にかかる時間ということもあるが、行動と行動意図の意識を考えるとき、この場合は気づいた時にはすでにブレーキが踏まれているという印象になる。

 これに関しては図9のAのように、はっきりと見える前に何らかの知覚が生じ(この場合は誰かが飛び出したことに対する何らかの知覚)、この段階ですでにブレーキが踏まれる(動作が行われる)ことになり、その直後に飛び出した人をはっきり認識する(明瞭に見える)という順番となる。ふだんの生活においても、瞬間的にではあるが、このような順番(視野に何かが入る→動作が開始される→はっきりと明瞭に見える)となることはあると考えられる。わかりやすいのは、スポーツなどにおいての知覚と動きとの関係である。

相撲競技での動きと意識

 たとえば相撲の場合、相手の次々に繰り出してくる動作を、いちいちはっきりと見届けてから、それに対してその都度こちらの動きを開始していたのでは遅くなってしまい、負けてしまうであろう。相手の動きをしっかり見届けるよりも早く、動きに反応する形でこちらも動かないと、遅くなってしまう。むしろ相手の動きを予測し、こちらが先回りして動いていく必要がある。この場合、相手の動きが次々はっきり認識されているわけではない。勝った力士に、インタビューで今の試合の感想を聞くと、「ただ前に出ることだけを考えていました」など、細かく動作を見ていたというよりも、(勝とうとして自然に体が動いた)という意味のような発言である。これもはっきりと見える前に体が動いていることの一つの例である。

 また相手の動きから、次の動きを予測して、先手を取って先にこちらが動くという場合、小脳に記憶されている動きの内部モデルが機能するということかもしれない。相手との過去の多くの対戦経験によって、動きの学習の記憶をもっていて、これが内部モデルとして小脳に蓄えられていると考えられるが、次に相手がどうでるかという動きを予測し、それに合わせて(先回りして)有利な位置に自分の手や体をもっていくという素早い動きは、小脳においての動きの内部モデルによってつくられる動作といえるかもしれない(小脳の動きのフィードフォワード制御)。

 野球で時速140~150キロのボールを打つには、目の前にきたボールをしっかり見てからバットを振ったのでは、完全に振り遅れる。これもボールの軌道の予測も加味して、ボールが目の前ではっきり見える前に、ボールがきたときにはすでにバットを振っていなければならない。これも同様の例である。

大脳基底核

 大脳基底核は動きと動きの記憶に関係しているが、その機能は不明な点も多い。動きの最初の指令は大脳皮質から発現し、大脳基底核を経由する。大脳基底核はその指令を、線条体における直接路(促通)または間接路(抑制)を経たあと、視床を介して大脳皮質に戻し、動きが実行される。行動している間、直接路と間接路はほとんど同時に機能しているということである。意識の観点からは、躊ちゅう躇ちょなく行動を遂行している間は直接路が優位に機能し、行動を続けるかどうか迷う場合は間接路が優位となるということである。しかし間接路が機能しても、行動が止まるというわけではない。大脳基底核は、認知機能にも関係しているといわれ、このことが動きにおける直接路と間接路の相互の機能とも関係しているのかもしれない。

 ここからはまったくの仮説だが、進化的に考えると、動きは大脳皮質によってつくられるが、もともと大脳基底核は、大脳皮質の活動を抑制する方向ではたらいていたのではないかと思う。聴覚を除くすべての感覚は視床に入り、視床からの刺激で大脳皮質が活性化し、活発に動きをつくりだすというように、「感覚」から「動き」が形成されるという関係性があったのではないだろうか。もちろん活発に動いていくことは大切だが、必要に応じて動くことや、動きを適切に止めるということも重要と考えられ、もともとは、大脳基底核はそのような抑制の機能に関係していたのではないかと考えている。

進化的な動きの歴史

 歴史的には約5億年ほど前のエディアカラ紀に、すでに動物が存在していたといわれる。代表的な動物として、キンべレラ(図10)は歯舌のような部位によっておそらく海底のバイオフィルムを摂取していたとのことである。ディッキンソニアは海底を這うように動いていたといわれ、また浸透圧によって何らかの物質を摂取していたのではないかといわれる。

つまりこの時代にすでに動きという現象はあったということになる。これは「動く」ことによって生存に有利な状況が生じたということかもしれない。栄養の獲得ということなのか。しかし現在のように、感覚や中枢の機能(認識の機能)は発達していなかったのではないだろうか。また相手を捕食するなどの弱肉強食のような関係もなかったといわれる。「動き」という現象が出現したもっとも初期と思われるこの時代においては、中枢機能が動きを制御するという概念とはちがう状態だったようにも思われる。そう考えると、動物の「動き」は、中枢の制御とは独立して出現したということのように考えられ、進化の過程で神経系や中枢機能が動きを制御するようになったということなのかもしれないと考えられる。

おわりに


 私の高校時代に、物理の先生が「物理学を勉強するのとしないのとでは、物理学を勉強したあとのほうが、ラグビーの試合成績が格段によくなるよ。ボールの動きを物理的にとらえられ、ボールコントロールなどに生かせるから」というようなことを言っていました。この本を構想したはじめの頃、これを読んでいただくことで、スポーツの成績がよくなるような内容にできればいいなと考えました。

 動きには意識的にコントロールできる部分と無意識的な影響による部分とがあります。直前の感覚が無意識的に動きに影響することを含め、無意識の部分がコントロールできないために、思い通りの動きができないことがあると考えられます。無意識の影響があることを理解し、日頃から無意識の部分をコントロールしていくように試みることによって、無意識的な影響を少しでも自分のコントロール下に置くことができるようになるのではないでしょうか。

 この本は「動き」(主に運動行動)に関しておさえるべきと思われる事項を、生理的な側面などから、特に「意識」との関係もまじえ、自分なりにまとめたものです。「動きの脳活動は無意識にはじまる」という有名なリベットの実験結果に対しても新しい解釈を試みています。動きを専門とする先生方にもお読みいただける内容と考えています。スポーツなど運動の際にもご参考にしていただければありがたいと思います。

 また、日頃お世話になっております自治医科大学病院消化器肝臓内科の先生方(栃木県下野市)、文章作成の機会を与えてくださいました三岳荘小松崎病院の小松崎聡理事長(茨城県筑西市)に心より感謝申し上げます。

参考文献

動きと意識 【全7回】 公開日
(その1)Ⅰ 動きと意識のダイナミクス 2025年6月30日
(その2)Ⅰ 動きと意識のダイナミクス 2025年7月30日
(その3)Ⅰ 動きと意識のダイナミクス 2025年8月29日
(その4)Ⅰ 動きと意識のダイナミクス 2025年9月30日
(その5)Ⅱ 脳と運動の相互作用 2025年10月31日
(その6)Ⅱ 脳と運動の相互作用 2025年11月30日
(その7)Ⅱ 脳と運動の相互作用 2025年12月26日