表現者の肖像 安田健介
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表現者インタビュー
ヒストリー

若い世代に引き継がれることなく、40号(平成28年)で最終号となってしまったそうですね。「準備書面ばっかり書いている不満のエネルギーが文芸作品の執筆に向かわせた」という安田さんのご意見を座談会の記事で読みましたが、若い弁護士は文芸同人誌への関心が薄れたということでしょうか?

 はっきり言って「奔馬」を継ぐ可能性のある人は、今、京都弁護士会の弁護士のなかにはただの一人もいないと断定します。意欲も能力もないでしょう。

 「奔馬」は空前絶後の作物です。「奔馬」の前身として一時代先輩の方々が「スバル」という作物を生み出しました。

 「スバル」も「奔馬」も時代に恵まれました。「スバル」時代は弁護士余裕時代、「奔馬」時代はいわゆるバブル時代です。そこに「天才か狂気か」と周囲に言わしめた私の情熱と、坂元さん、浦井さん、出口さん、村田さん、その他相当数の同調者がいたことが重なったのです。今の弁護士は、私からすると「業務もミジメ、能力もミジメ」すぎます。

奥様には「『奔馬』であなたは身を持ち崩した」と言われたそうですね。そう言われたときはどのように感じられましたか? 「奔馬」編集当時の奥様との思い出をお聞かせください。

 女房とは50年連れ添い、いろいろありすぎるので、一言では語れません。私が女房にメイワク、心配をかけたこと、数知れず……。弁護士会から懲戒処分を受けたこと4度(高畑氏の解説の通り)、金の使い込みの弁償など、1億円を超える尻拭いを女房はしてくれました、いや、させてしまいました。

 それも「奔馬」に夢中になって仕事をオロソカにしたともいえますから、女房が「あんたは『奔馬』で身を持ち崩した」と言ったのは正解です。これには言い返せません。

 実は、女房の名文句はもうひとつあります。

 「あんたは、いい嫁さんもらったなぁ」です。

 これは、私が女房をほめないので、私になり代わって言った真言です。

 女房の真言でいうと、他にもあります。

 「悪いことなにひとつしたことのない私が、なんでガンでいためつけられて、悪いことを平気で繰り返すあんたが、なんでそんなに元気か、不公平だ」というものです。いずれもごもっともです。そのよき女房が今年4月に亡くなり、よからぬ私が本まで出版して歓喜しているのですから。私が本を出すことにはじめは反対だった女房が、ようやく本が出るのを楽しみにするまでに変わったところだったので、悔やまれます。だから、「あとがき」に書いたように、出来上がった本を彼女の霊前に供えたのです。

新婚時代 妻・廣子さんと

私もご契約時の一度だけですが、奥様が電話で替わられてお話しさせていただいたので、出来上がった本を読んでいただきたかったです。天国で楽しく読んでくださっていると思います。安田さんは、弁護士になる前に双葉社に入社し、「週刊大衆」編集部でグラビア担当をなさっていたという、異例のご経歴をお持ちですね。編集者になろうと思っていたのですか?

 大学を卒業したからといって、弁護士になれるわけではありません。当時、司法試験はまだ夢段階でした。そうすると、出版社に就職するしかないなと。

 岩波、筑摩にすべり、双葉社が救ってくれたのです。

双葉社在籍時代の安田氏

そうでしたか。弁護士になってから、カルチャーセンターの文章講座を受講して、作品執筆を始めたそうですね。「安田さんの作品は小説ではない」と言われたそうですが、どういうことだったのでしょうか?

 八橋先生は、私の試作品すべてに合格点をくださいました。ただし、私の作品は小説に必要な「描写」が全くなく、「作者の一人しゃべり」であることにはじめから気づいておられた。私はごまかしごまかし小説に似た形をとって凌いでいましたが、「文学部唯野教授『文芸批評論』の盗講生」(「奔馬」9号に発表)を書いたとき、教室での講評を拒否されました。そのいきさつは「奔馬」10号「編集後記」に書いています。私宛の書面で理由をいただきましたので、それをそのまま載せています。長いので全部はここでは言えませんが、結論部分だけ再現しましょう。

 「作者は既に出来上がった人で、その出来上がり方は小説家的ではなく学者的です。カルチャーセンターの小説教室とはほど遠い位置なので、効果はありません。従って、この作品は教室で取り上げませんし、点数もつけません。点数など拒否した作品です」というものだったのです。

そうでしたか。すでに安田さんの独自性が出来上がっていたということなのかもしれませんね。高校時代は弁論大会で優勝されたことがおありとのことですが、安田さんのなかで弁論と執筆には共通するものがあるのでしょうか?

 高校生のとき、弁論で何回か優勝しましたが、いまだ私のなかでそれと「奔馬」に書いた作品とは直結していません。ただし、弁論において自分で考え始めてそれを発表する快感を味わったことは、「奔馬」へつながっているともいえます。高校卒業後、大学時代に個人誌「混沌」(ガリ版刷りのもので合計4冊)をつくり、双葉社時代に小沢さんという方と同名の同人誌「混沌」(合計2冊)をつくり、そして朝日カルチャーセンターの講座での執筆活動、そして「奔馬」と続きました。

安田さんの奥深いところでなにかがつながっているのかもしれませんね。安田さんが幼少のころ、ご実家は京都で書店を経営なさっていたそうですね。その影響は今の安田さんにとって大きいものでしょうか?

 ええ。京都で生まれて、家が本屋でした。それで四つぐらいのときから絵本などを、夜中の2時ごろから布団に腹ばいになって読んでいたのか見ていたのか……、ずっとそれが楽しみでした。

 振り返って、これが「本読みまくり」のはじまりだったかと思うのです。小・中・高・大でも、ソコソコ本は読みました。「奔馬」時代もそうです。だから、私の作品中には書評も多く、「全部、引用じゃないか」と言われることがあってもしかたないのです。

本を思う存分読める環境にあったことが今の安田さんを形成したといっても過言ではなさそうですね。本が大好きでその影響を受けて物事を考える助けとしているから、自分の随筆でも読んだ本の一部を引用して読者に紹介したくなるということなのかもしれませんね。 今回のご著者の編集中に「やはり自分の原点は『世の中の出来事(具体的なもの)を分析し、抽象化して、その後また具体に戻す』という方式」というようなことをおっしゃっていたかと思います。これはタイトルの『抽象・具体の往復思考』にもつながるものですので、もう少し詳しく教えてください。

 女房に「あんたは元気で不公平だ」と言われていましたが、今、私は透析患者です。血液の洗濯を火、木、土とすることで生きています。どういう意味の数値なのか詳しいことは知りませんが、血液中のクレアチニン(老廃物)が8以上になったら、透析患者になるのです。このことで例えるなら「クレアチニンが8」が抽象で、「透析が必要な私という現物」が具体です。「クレアチニンが8」だから、実際に私は透析が必要なのです。

 現に透析によって透析前は9ぐらいあったクレアチニンが3(正常値)になるのです。そしてもし透析前に7になったら透析は不要になります。しかし、私においてはまず絶対にそうはならない。

 少し難解に聞こえるかもしれませんが、このように抽象・具体の往復思考はすでに多くの場面で行動化されているものなのです。

 私のいくつかの作品に即して「抽象・具体の往復思考」を説明します。

 ①「法律の成分」。これは「抽象のハシゴ」のよい例です。ハシゴの下は完全具体(人の現実生活そのもの)です。ハシゴの1段目(抽象1)は、法律の解釈適用(逮捕、裁判、刑務所の執行)。ハシゴ2段目(抽象2)は法律の根拠としての「自由、平等」。ハシゴ3段目(抽象3)は平等に2種類あり、したがって「正義」(法律の最上位)が「平均的正義」と「配分的正義」に分かれること。これをハシゴの下の「人の現実生活例」を示しながら説明しています。

 ②「人生原論」。これも「抽象のハシゴ」をよく示しています。ハシゴの下の人間の現実生活から、ハシゴ1段目のヘビとの同一性(動物という抽象をしている)、ハシゴ2段目のクスノキとの同一性(生きものという抽象をしている)、ハシゴ3段目は「水・空気」との同一性(動くものという抽象をしている)と説明していきます。そして、人間の生活を「1生活、2生活、3生活」と分析しています。分析はまさに抽象です。

 ③「二重秩序」。これは「性」という人間の性盛りから性衰退の曲線という「抽象」と「具体」を結構生々しく、私の経験を多く取り入れて説明しています。

 ④「象は鼻が長い秘密」。これは、日本語の「ハ」と「ガ」の使用方法(具体)と通じて日本語使用人が画一的な性向(抽象)をもっているのではないか、ということを検討しています。

 ⑤「徒然つまみ読み草」。これは、吉田兼好の「徒然草」の原文を具体とした、いわゆる「要約」をいう抽象を試みたものです。

 先ほど、作品とは無関係に私の透析例を述べましたが、他にも現実の土地(具体)と地図(抽象)はわかりやすい例です。私がよく行く居酒屋での世間話はほとんどが具体話です。

 清水幾太郎さんが言う通り、世の中のほとんどは具体話のやりとりで生活しています。亡き女房の、近所の話し相手である奥さん5人ぐらいとの話はまさにこれでした。例えば大学3年生の人たちの何パーセントが、抽象思考に飛躍できるだろうかと、興味深いところです。

 なお、「物々交換経済学」については、今後なんとか笠信太郎さんの宿題(誰でもが世間話のなかで「経済の枠組み」(抽象)が話し合え、政府や野党の経済政策を批評できるようになること)を実現したいですね。

安田さんの作品にはいろいろなテーマのものがありますが、「物々交換経済学」はシリーズ化して、何作品も書かれていますね。今回も1作品が収載されています。「物々交換経済学」の要素を簡略にお聞かせください。

 「物々交換経済学」は、まず人間の生きていることすべてを「経済行動」と考えます。すると、「自由自在」(空気を吸うこと)、「自給自足」(考えること)、「単純な物々交換」(性交)、「複雑な物々交換」(私が弁護士で稼いだ金で家族が生活に必要なモノを入手する)に分けられます、これが生活のすべてです。また、そのことをグタグタ多くの作品で書いたのです。

安田さんは関西人らしく「笑い」を大事にしますね。「いかにふざけていかに深く書くか」という考えをくわしくお聞かせください。

 読んでもらうためには、おもしろくなければ。ツカミが大事です。だからおもしろく書くのは必然です。

 だけど、深い内容でなければ書くネウチがありません。これも必然です。

すでに第2弾のご出版も決まり、現在収載作品を選定中ですね。第2弾への意気込みをお聞かせください。

  第2弾では、第1弾で書けなかった「言葉」の深い掘り下げがなんといってもメインです。このことはカナダ在住日系人、S・I ハヤカワ著『思考と行動における言語』(岩波書店)のテーマでもあります。彼はこのテーマを「一般意味論」といい、「言語その他の記号に対する人間の反応の研究であり、記号の刺激をもって、またそれを受けての人間の行為の研究である」と定義づけています。

 私は、以前この本を読みましたが、十分理解していません。これからまた、じっくり読むつもりです。

 第2弾で発表する作品の3つは、くしくも「一般意味論」の作品になりそうです。「笑い」についても第2弾の準メダマです。『福澤諭吉私小説』は、私の読書を通じた兄貴を語る楽しい作品です。第1弾は多テーマの作品から私の代表的な作品を選びましたが、第2弾はそれとはまた違った趣向の、「おかしくて深い」本になると思います。

安田さんのお人柄、独特の発想法が読者のかたに伝わったかと思います。はやくも第2弾の編集作業が始まりました。引き続き「青春時代」を謳歌してください。ありがとうございました。

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