表現者の肖像 安田健介
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表現者インタビュー
ヒストリー

10月に『抽象・具体の往復思考―安田健介傑作選-』が刊行されました。今のお気持ちはいかがでしょうか?

 私は昭和末年(1988年)から平成19年(2007年)まで、京都法曹文芸「奔馬」1号から33号まで、編集長を務めました。そして、約70作品も書きました(平成17年32号まで)。

 それから9年経った今(平成28年)、「同人雑誌作者」から「本屋で売る本の作者」に飛躍したことで私の身体(頭を含む)ではドーパミンだかアサヒスーパードライだか月桂冠の酒だか、なんだかしれないものが発せられているらしく、日々、喜びの気分に満ちています。

安田さん独特の喜びの表現ですね。 今回のご著者には、京都法曹文芸誌「奔馬」で創刊号から平成16年の31号までに掲載された作品が収載されています。編集部が安田さんの約70作品のなかから10作品とコラム3作品を厳選し、それに書き下ろしを1作品加えていただきました。今回出版しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

 出版はずっとしたかったのです。実は、「奔馬」の何号かのとき、某出版社から誘いがありました。詳しくは言いませんが「Aタイプの出版か、Bタイプの出版になりますね」と。試しに作品を送ってみたら「Bタイプでどうですか?」と返事がきました。私はこの話には乗りませんでした。これは「クズフグのパックンチョ」(「数学機械の使用上の注意」の初出時に用いた言葉)だな、ダマシ出版の勧誘だなと思ったんです。

 今回はなぜだか、私が突然思い立って信頼できると思った「幻冬舎メディアコンサルティング」に自分から電話をして出版を申し込んだんです。そして、「奔馬」の1号から33号を送ったんです。

 私の予想通り、担当編集者はきっちり私の作品すべてを読んで的確な感想を伝えてくれました。よいキャッチボールができて出版に漕ぎ着けました。万歳!

どの作品も世相を感じたり、普遍的な事物を扱っていたりでおもしろく、編集部としても10作品を選ぶのには悩みました。今回、30年ほど前に書かれたご自身の作品などを改めて読み返してみていかがでしたか?

 私が「奔馬」に作品を書いていた50歳から70歳は、まさに私にとっての「青春時代」といえます。78歳の今、読み返して、「今じゃとても書けない、若い私もなかなかやるじゃないか」と感嘆のセミシグレです。ですから、これから私が書けるのは「奔馬」で書き残したわずかな補完作品ぐらいになるでしょう。

 ただし、「物々交換経済学」シリーズは、作品の数が多いけれど作品は一色で極めて狭い。完成までには残りが余りにも大きいんです。しかし、それを補完しなければ、笠信太郎さん(『“花見酒”の経済』の著者)の遺言(日本人の誰もが経済問題を日常茶飯事のごとく論じることができるような「枠組み」を誰かつくってくれというもの)は守れないんです。それは何とかしたいと思っています。

「物々交換経済学」の新作も期待しています。安田さんは弁護士をなさっていらっしゃいましたが、弁護士を職業として選んだきっかけはなんだったのでしょうか? 当時のエピソードなどもよろしければお聞かせください。

 これは単純なことです。双葉社に在籍していた時代に結婚して、女房が私が弁護士になることを希望したのです。私も大学時代に個人雑誌「混沌」には「志望、弁護士」と書いていましたので、女房の協力のもと「渡りに舟」と実現に向かったのです。当時、司法試験は3万人中500人しか合格しないという倍率でしたが、突破なんて当然という自信がありましたし、実現できました。

法曹界において文芸誌「奔馬」を立ち上げた経緯をお聞かせください。編集長を約20年間務められ、法廷の待ち時間などにもものすごいスピードで原稿を書いていたというエピソードを「奔馬」掲載の座談会の記事で読みました。安田さんのその原動力になっていたものはなんでしょうか?

 「奔馬」を立ち上げたきっかけは、私がそれ以前に朝日カルチャーセンターの小説講座に通ったことにあります。そこで小説の試作品を作り、八橋一郎先生の書面講評と教室口頭講評で合格点をもらいました。そして、坂元和夫さん(同じ京都弁護士会の弁護士で碁敵でもあります)に「同人雑誌やりたいですなぁ」と持ち掛けたら「やりましょうか?」と応じてもらえたのです。そこに浦井康さんが加わり、呼びかけで20人ほど集まりました。

 私は編集長となり、作品を書き始めたらどんどん書くことが森羅万象、無限に出てきて20年間で70作品にもなったわけです。

 その原動力は、森羅万象中、未知の部分を既知化していく喜びです。そして、その方法として、振り返れば「抽象・具体の往復思考」をしていたのです。

「奔馬」のお仲間と。前列左端が安田氏

そうでしたか。興味深いです。「奔馬」では「編集後記」「同人雑記」に力を入れられていたとのことですね。「褒めること」しか書かなかったと伺いましたが、編集長としてどのようなことを大事に編集されていたのでしょうか?

 「奔馬」の特色は、おそらく他に見ない「編集後記」と「同人雑記」を思う存分編集長である私が書き、他の方にも書いてもらったことでしょう。

 読者の多くは私の書いた「編集後記」をまず読んでから作品自体を読んでいたようです。

 このスタイルは、商業雑誌でも採り入れてほしいですが、私のような編集長がいるかどうかわかりませんね。

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