作家・成海隼人が、『尼崎ストロベリー』を幻冬舎から発売。
これを記念して企画した「月亭方正氏」との対談が大好評だったことにつき、幻冬舎ルネッサンス新社では、第2弾企画として、松竹芸能の「アンドゥMASAMI氏」を招いて対談を企画。
MASAMI氏は、現在、ファッションブランド『&LOVE』をプロデュースし、テレビショッピング専門チャンネルに出演し、人気を博している女性双子タレント。
彼女は30歳の頃に「乳がん」を宣告される。
闘病生活を乗り越えて、今もポジティブに生き、まわりに元気を与え続ける彼女。
アンドゥMASAMI × 成海隼人。
二人が考える「笑い」とは。「がん」とは。

インタビュー・文 / 岡崎真吾(幻冬舎ルネッサンス新社)
撮影 / 松野友紀

アンドゥMASAMIと成海の共通項

今回の『尼崎ストロベリー』出版記念対談第2弾企画にあたり、アンドゥのMASAMIさんを希望されたのは成海さんらしいですね?

成海そうなんですよ。『尼崎ストロベリー』という小説を出版しまして、幻冬舎さんが対談企画第2弾をやってくれるということで。アンドゥのMASAMIさんに、オファーできますかね?とお願いしたら話がトントン拍子に進んで。

MASAMI

MASAMIありがとうございます!なんで私だったんですか?

成海関西を拠点に活動していた頃のアンドゥさんを昔からテレビで観ていて。東京進出されてから、MASAMIさんが乳がんになってしまって、でも、それを乗り越えられて、今もタレントとして活躍されていることを知ってたんですよ。だから、お会いしたくて。今回、僕が出した小説が「笑いとがん」をテーマにしていて、共通点があるかなって。

MASAMIそうだったんですね。それは本当に光栄です。

成海こちらこそです。MASAMIさんの書籍『支え〜乳がんからの生還〜』を読ませて頂きました。

MASAMIほんとですか!ありがとうございます。

成海

成海MASAMIさんの闘病生活のリアルが描かれていて、また、MASAMIさんらしく、楽しいことも、辛いこともストレートに表現されておられるから、すごく気持ちが揺さぶられました。僕ね。母親が、がんという病気になって、親子でずっと闘病生活をしてたんですよ。なんだか、それを思い出して、ボロボロ泣きながらこの本を見ちゃいました。

MASAMIそうだったんですね。

成海この書籍に出てくるシーンで、抗がん剤の副作用が原因で、MASAMIさんの髪の毛が抜けてくるじゃないですか。部屋に抜け落ちた髪の毛の束を双子の妹のSATOMIさんがガムテープを使って拾うとか。僕も副作用のせいで、オカンの抜け落ちた髪の毛をガムテープで拾ってたから、自分と重なって泣いてしまったし、すごい感情移入してしまって。

MASAMI成海さんも辛い想いをされた時期があったんですね。成海さんとは、ほんと共通点が多そうです。

成海MASAMIさんの本って、がんっていう重いテーマで書かれているんですが、不思議と暗くならないんですよ。逆に元気をもらってポジティブな気持ちになれるんですよね。

MASAMIありがとうございます。

成海ところで、アンドゥさんって漫才師ではないんですよね?昔、テレビで漫才してたのを見たような。

MASAMI

MASAMIボキャブラ天国という番組で、コントっぽいことはしてましたけど、漫才師ではないですね。もともとタレントでデビューして、双子でレポーターとかモデルとかしてたんです。自分たちも定まっていないまま、たまたま東京進出して、当時、ちょうどパイレーツさんが出てた時代に、ボキャブラの仕事がきたんですよ。「パイレーツみたいな女の子芸人的なことを考えてるから、ネタを考えて出てくれへんか?」って言われましてね。お笑いをやるつもりはなかったんですが、当時は「何でもやります!」って言ってましたので、昔流行ったアコムのCMのむじんくんみたいな宇宙人の格好して「アンドゥ星から来たアンドゥです」って言って、すっごいサブいネタして(笑)

成海サブいんですか(笑)「アンドゥ星から来たアンドゥ」はオモロそうですよ!(笑)

MASAMIボキャブラ全盛の時代で、私たち、何もでけへんかったから、「アンドゥ〜、アンドゥ〜」とか歌って踊って、何かをボキャブラせて短いサブいコントをしてました。くりぃむしちゅー(当時:海砂利水魚)の上田くんが真剣にネタを考えてくれて、助けてくれたりしたんですが、私たちがすると全然面白くなくて、本当サブいんですよ!

成海サブいっていうのは絶対譲りませんね?(笑)

MASAMIだって、サブかったんですもん(笑)ひな壇に出てこそテレビに映るのに、なかなか結果が出なかったです。当時は、だいたひかるさん、野性爆弾さん、テツ&トモさんと一緒にスタジオのこーんなちっちゃなカメラに、ずっと手を振ってアピールしてやってましたね。

成海当時はそんな裏側やったんですね。

MASAMIお金なくて、パン屋さんで、パンの耳をもらいに行って食べる時代があって。そんな時にお昼のレポーターの仕事が舞い込んできて、そこから、双子の仕事も入ってきて、うまいこと回りだしていって。26歳から30歳まで、がんになるまでの4年間は楽しくて、お金も少しずつ増えてきて、がむしゃらにやっていましたね。

闘病と家族のチカラ

『尼崎ストロベリー』を読まれて、どうでしたか?

MASAMI

MASAMI小説の中に、漫才の台本をそのまま載せてますよね?あれは驚きました。ネタってあんな風に書くんですね?(笑)

成海そうですねー。僕はあんな感じでネタを書きますね。

MASAMI一言一句、ああやって書いてやり取りして。あんなの見たことなかったから驚いて。

成海ほんまですか? ボキャブラ天国で、コント台本とかは?

MASAMI台本なしでやってました。

成海え!? 台本なしで、どうやってコントするんですか?

MASAMI私、双子でしょ? 双子ってね、相手の考えてることがピピってわかるから、台本とかいらないんですよ。舞台上で、心の中で会話するんです。

成海嘘でしょ!?

MASAMIなんか頭の中に会話が浮かんでくるんですよ。

成海テレパシーみたいな?

MASAMIそうそう、テレパシー。お互い思いついたことをワーっと喋って、お互いが次に何を言うかわかるんですよね。

成海すごい!

MASAMIでも、漫才師さんは、ああやって、一言一句ちゃんと台本や段取りがあって、そこにとっても驚きました。うわー、こんなんなんやー! すごーい!って感心しました。

成海台本通りに漫才するよりも、テレパシーで漫才する方が、僕はすごいと思いますよ!(笑)

(一同爆笑)

MASAMIほんと、漫才台本が面白かったですよ。最後の漫才大会のシーンで、どうなるんやろ〜、どうなるんやろ〜って、ドキドキしながら読んだんですけど、最後はまさかの展開で。ほんと、ビックリしたし!成海さん、描き方が上手すぎますよ〜!

成海ありがとうございます。嬉しいです。

MASAMI最後は、ポロポロ涙が溢れて、眼鏡が曇って字が見えないくらいに号泣しました。全体的には、プッと吹き出して、笑えるところが多かったです。仮面ライダーのシーンとか(笑)

成海めっちゃ読んでくれてはって嬉しいです。

MASAMI主人公の駿ちゃんの参観日に、お母さんが、バイクにまたがって、砂埃を巻き上げながら、学校のグランドから登場するシーンとか(笑)言葉選びがしっくりきて。確かに「仮面ライダーや!」って吹き出しました(笑)

成海ありがとうございます。

MASAMIあのシーンは笑ったんですが、一方でね。私は、お母さんの気持ちを考えましたね。息子の参観日に行ってあげたい母親の気持ち。本当はめっちゃオシャレして行きたかったと思うし。でも仕事も忙しくて、もう必死のパッチだったからウインドブレーカー着て、ダッシュで駆けつけたじゃないですか? なんだか、私はお母さんの優しい気持ちがすっごい伝わったんですよね。

成海オカン目線ですね。

MASAMI私には、小学一年生の息子がいるんですが、息子がね、この本読みたいって言うんですよ。まだまだ漢字も読めないので、私が噛み砕きながら、また絵本の代わりに読み聞かせようって思っています。

成海ところで、MASAMIさんって、がんと診断されたのは、30歳でしたよね。若いよなぁ。。。それでも休業するんじゃなくて、治療をしながら仕事を続ける選択をされたんですもんね。何かモチベーションにしてたものとかあるんですか? 本来であれば休業して、治療に専念してもよかったと思うんですが。

MASAMI

MASAMIがんって告知された瞬間、両親は、「大阪に連れて帰る!」って言ってたんですけど、仕事を続けさせてください!って私がお願いしたんですね。私たちみたいなタレントって代わりが山ほどいるんです。もし自分が病気でちょっと休みます、って言った瞬間、自分の居場所がなくなるって思ったんですよね。そうなったら、私はいいけど、妹のSATOMIがあまりにも可哀想やと思ったんです。私のせいで、妹も仕事がなくなる、それは嫌や。だから、なんとか病気を隠して、仕事を続けようって思って。両親や主治医の先生に、抗がん剤治療、ホルモン治療、今できる限りの治療を全部やります。その代わりに、東京で仕事をさせてください、って頼みこんで。最終的に、私を信じてくれて両親が許してくれたんですよね。

成海妹さんのために。。。素敵なお姉さんですよね。

MASAMI小説の駿ちゃんとお母さんの関係と一緒で、家族のためだったら、すごく強くなれるんですよ。何倍も。自分がしんどいなぁって思ってても、妹が弱ってると自分が強くなるというのはあります。それが家族のパワーなんですよ!

成海仮に一人でタレントさんやってたら、結果は違うと思います?

MASAMIそうですね。頑張ってなかったですよね。そんな無茶なことしませんよ。だって髪の毛も抜けて、それを誤魔化してテレビに出る、なんてありえないですよね!でも「妹のために、もう絶対バレへんように出たんねん!」みたいな。なんか、意地になって、「何くそ!」って言う気持ちで頑張れました。やっぱり、関西魂なんですかね(笑)

成海関西魂(笑)実際、治療と仕事の両立はどうでしたか?

MASAMIそれはそれは壮絶でした。副作用が半端やなくて。吐き気で苦しい。でもロケに行かなくちゃいけない。「おえー」って言いながら、家の中をほふく前進です。玄関で寝そべって、妹がメイクをしてくれて、最後にウイッグかぶしてくれて。家の前にタクシー待たせて、そこに乗りこんで仕事に行くっていう。毎日が戦いです。レポーターをしてたんですが、街頭インタビューとかするんですよ。それがもうすごい辛くて。でもそんな時でも妹がうまいこと言って、ロケバスで休憩させてくれたり、食べられないお弁当を二人分食べてくれたり。

成海妹さんの支えが大きかったんですね。

MASAMIはい。妹だけじゃなくて、両親も支えてくれました。がんと戦いながらの仕事は、苦しみが半端じゃなかったですけども、やっぱり家族の支えは頑張ろうっていう勇気につながりました。がんになってみて、わかったんですけど、不思議と、自分が病気になってよかったなって思ったんです。妹じゃなくて、両親じゃなくて、自分でよかったって。自分やから頑張れる。『尼崎ストロベリー』を読んでいて、駿ちゃんのお母さんもそうだったと思うんですよね。お母さんの支えは、息子の駿ちゃんじゃないですか?それは重ねて読みましたね。だから胸が熱くなったし、涙も出たし。成海さんのお母さんは、どんな闘病生活だったんですか?

成海うちも壮絶でした。スキルス胃がんっていうちょっと厄介な胃がんだったんですけど、手術で胃を全摘してから、再発を防ぐために抗がん剤投与がはじまって。錠剤と点滴の抗がん剤を併用するので、副作用がものすごい強いんです。本当に闘病生活は、しんどかったですね。

MASAMI髪が抜ける以外に、どんな副作用だったんですか?

成海ニオイです。本当に何気ないニオイに敏感になって、イライラするみたいで。僕がごはん食べたり、整髪料をつけたり、生活から自然に出てくるニオイに過敏に反応するんです。「ニオイが気になるからご飯遠ざけて!」とか、オカンもイライラしてきて僕に当たってくるんです。

MASAMIすごくわかります。私もそうだったから。お家の中が臭かったりとか、整髪料やお化粧のニオイもダメで。

成海

成海「こんだけしんどいのに、なんでわかってくれへんの!」って僕に怒るんです。僕も当時は若いですから、だんだん腹立ってくるんですよね。周りの友達は遊びまくってるのに、なんで僕だけこんな苦しい思いして、これだけやってあげてるのに、キレられなあかんねんって感情になってくるんですよ。強く言い返して、オカンを傷つけてしまった時もありました。で、その夜に後悔して。自分の器の小ささにも腹立ってきて。その連続でしたね。オカンを乗せた車椅子を押しながら、こんなにしんどいんやったら、このまま一緒に死んでやろうかな、その方が楽になれるかなって、思い詰めた時期もありました。

MASAMI本当に辛かったですね。。。私もそうでしたけど、治療中の自分が何を求めているか感じ取ってやってもらいたい、って家族には甘えちゃうんですよね。でも、そこまで、わがままも言えないっていう葛藤もありながら。

成海こんなに副作用しんどいのに、なんでわかってくれへんねん!っていうことですよね。

MASAMIもちろん頭ではわかってるんです。抗がん剤の副作用があることはわかって治療してるわけですから。自分だけが受け止めたらいいわけだし、そこまでをわかってもらうのも家族に可哀想だし。だけど、「ちょっとは読みとってやってよ!」って思っちゃう気持ちとの葛藤です。その葛藤があるから、強く当たってしまうんですよ。

成海書籍に出てくるMASAMIさんとSATOMIさんの喧嘩のシーンあるじゃないですか?あの頃の自分とオカンにすっごい重ねました。オカンもつらかったんやろうなぁ。申し訳ないですわ。

MASAMIいやいや、成海さんはお母さんの支えになったと思いますよ!だから、治療も頑張れたんだと思います。

成海それやったら、いいのですが。でも、MASAMIさん言うように、闘病生活中は一層家族の絆が深まったのは体験としてありますよね。

笑いとナチュラルキラー細胞

『尼崎ストロベリー』で主要なテーマとなっているナチュラルキラー細胞についてお二人の考えをお聞かせください。

成海母親ががんになった時に、医者から、実際、手術をしてみないとわかりませんが余命半年かもしれないと言われて。で、それが相当ショックで。何か自分にできることはないかって、いろいろなことを調べてたら、ナチュラルキラー細胞というものを見つけたんです。「笑ってがんを治す免疫療法」というのが、僕にとって衝撃的だったんです。お笑い好きな親子だったもので、これや!と思いました。で、吉本新喜劇とか、お笑いのイベントとか、オカンを連れていって通っていました。結果ね、10年以上も生きるという奇跡を体験したんですよ。

MASAMI素晴らしい!

成海「抗がん剤が効いたんじゃないの?」とか言う方もおられるんですけど、僕はあの時のナチュラルキラー細胞、笑いのチカラを心底信じてましてね。大人になって、小説を出版する機会に恵まれて、デビュー作は、絶対このテーマにしたいなって思って。

MASAMI

MASAMI成海さん! 絶対、ナチュラルキラー細胞のおかげですよ。笑いのチカラですよ!もしも、成海さんに「笑い」がなくて、お母さんが普通に「私はガンなんだ、ガンなんだ、ガンなんだ」って下を向いて、治療だけしてたとしたら、もうちょっと結果は違ったと私は思います。本当に病は気からじゃないですけど、それは絶対あると思う。笑いが起こした奇跡ですよ!

成海本当に僕は笑いのチカラを信じてて。だから、笑って笑って、元気にパワフルに生きているMASAMIさんと今日お会いできるのを僕は本当に楽しみにしてて。

MASAMIほんとですね! もっと早くお会いしたかったですね!

成海今日ね、MASAMIさんに聞きたかったんですが。

MASAMIはい、なんでもなんでも。

成海

成海闘病生活で、オカンと僕にとっての武器は「笑い」やったんですね。MASAMIさんは「美容」とか「オシャレ」が闘病生活に大事だったって言ってるじゃないですか? 僕はそれがすごい勉強になって。やっぱりナチュラルキラー細胞って、笑いだけじゃなくて、心が晴れやかに楽しくなったら増殖するらしいから、女性にとってのオシャレって言うのは、ナチュラルキラー細胞の活性化に繋がるんやろうなって。

MASAMIそうそう。

成海書籍にも書いてましたが、がんの手術して3日後、即、デパートのバーゲン行ってません? 嘘やろ!? すぐバーゲン行くやんっ!って思いましたもん(笑)体大丈夫??って(笑)

MASAMIそうそう(笑)バーゲン行った行った。主治医に嘘ついて(笑)

成海術後すぐやから危ないので、人混みに出るなって、主治医に言われてたんですよね?嘘ついて、リスク背負って人混みだらけのバーゲンに行くって、どんだけオシャレしたいねん、って思いましたもん。男にはちょっとわからん感覚かもです。

MASAMI男性にはわかんないかも。バーゲン会場に行くことで、自分がそこにいる元気でオシャレな女の子と、一緒なんだっていう感覚が欲しかったんです。それと私はまだまだオシャレできる! 私はまだまだこれからや!って思えることで、自分にどんどんパワーが出てきて、勇気付けられるんですよね。

成海バーゲンのパワー半端ないですね!

MASAMIただ、めっちゃ人混みは怖かったですよ。手術後すぐやったから、脇の辺りにドレーンをつって、医療用ポーチをつけながら、当たられたらどうしようって思いながら。

成海そりゃ、人混み怖いですよね。

MASAMI

MASAMIはい。でも、本当にバーゲンは最高(笑)病室に帰るときに、大量のバーゲンの袋を持っているとナースステーションでバレるじゃないですか? だから妹になりすましたんです(笑)「どーも! 姉がいつもお世話になってまーす!」って妹のフリして、ナースステーションをすりぬけました(笑)

成海すげーな! どんなバーゲン魂なんですか!(笑)

MASAMIそこは双子の特権を使います!

成海

成海そんな替え玉聞いたことない!(笑)そのエピソード、めちゃめちゃオモロいですやんか。その時の主治医の先生がこの対談見てたら、「ちくしょー」って言うでしょうね!あの時、騙されたー!!って(笑)

MASAMIほんとほんと(笑)その時は抗がん剤も始まってなくて、まだ髪も抜けてなかったので、コート着てたら、ドレーンもポーチも隠せるからバレなくて、そうやって一人二役をしながらやってましたね(笑)

成海いや、オモロいな。

MASAMIでもね、成海さん。本当、最高だったんですよ。本当に。外の空気を吸えて、バーゲンという女の戦いに一緒に入って、そこでオシャレなものを買って、「うわー、可愛い!」ってテンションあげてね。女だから、やっぱり着るものから、元気もらうっていうのはあるんで、オシャレにはどれだけ助けられたかっていうのはありますよね。

成海その体験が今のお仕事につながっていますもんね?ファッションアイテムをプロデュースとかされてて。アンドゥさんがプロデュースするアイテムが、通販番組でたくさん売れたりだとか、イベントをやって、すごいたくさんの方が来られるって聞きました。

MASAMIそうなんです。本当にありがたいです。私たちの番組を観て、「これを着てお出かけしたいなぁ」「若い頃のようにお外に出て楽しいことしたいなぁ」って思ってもらいたくて。そういう気持ちで、お洋服作りとテレビ出演をしているんですね。

成海なるほど。

MASAMIアホみたいにピーチクパーチク喋りながら番組をやってるんです(笑)私たちがきっかけで、そうなって笑顔が増えていってくれたら素敵やなって思ったんですよね。

成海オシャレと共に、笑いがあるんですね。

MASAMIそうそう、最終的には笑って欲しいんです。だから、通販番組では洋服を売るっていうより、最終的に、どれだけ笑かしたろかなって思ってます(笑)

成海MASAMIさん、ナニワですね〜!

MASAMIナニワですよ〜!

成海それが視聴者の皆さんに伝わってるんでしょうね。

MASAMIそうですよね。だから、不思議な世界だなって思うんですけど。ハッピーの連鎖っていうのが、あると思うので。笑っている人のところには、たくさんの人が集まってきてくれるし、一緒に幸せになろうっていう気持ちが芽生える。そういうことなんだろうなって、すごくやりながら感じています。今やっているお仕事は、がんになったことで、私が神様から与えられた使命なのかな、なんて思ったりします。

全てを笑いに変えるということ

成海MASAMIさんの書籍をみてて、僕、忘れられないシーンがあって。 抗がん剤の副作用で日に日に髪の毛が抜けてきて、いよいよ目立ってきて、もう誤魔化せない段階になった時に、髪の毛を全て剃って、丸坊主にするっていう選択されるでしょ?

MASAMIはい、病院併設の美容室で、人生初の丸坊主にしましたね。

成海その時に頭を自撮りして「お坊さんになりました〜。寒いで〜す」っていうメールを妹さんに送ってましたよね?

MASAMIそうそう、めっちゃ寒くて!

成海僕ね、それやと思うんですよ!あの状況でのボケっていうか。少しでも笑いに変えてやろ、っていうMASAMIさんの強い姿勢に僕はすごく感動して。

MASAMI

MASAMIちょっとでも笑かしたろっていうのが、関西人ですもんね。でも、ほんまに寒かったんですぅ〜。女性って普段は長い髪に覆われてるじゃないですか?それが髪の毛を剃って、頭皮が露わになるっていうプラス、抗がん剤で毛穴が開いてきてるので、寒くて寒くて。成海さんのお母さんはどうやったんですか?

成海はい、全部抜けちゃいましたね。大阪の梅田にカツラを一緒に買いに行ったことを今でも鮮明に覚えてますよ。

MASAMIえええーー!? 一緒に買いに行ったんですか?めっちゃくちゃ優しい息子さんですね。

成海いやー。優しいというか、ただのマザコンなんですよ。オカンとカツラを買いに行った時もね。オカンが、フザケて、わざとカツラを横向きや後ろ向きに被ったりして、僕を笑かしてくるんですよ(笑)カツラで遊んでるのを店員に見つかったりして、また二人で笑って(笑)

MASAMI本当に素敵な親子ですね! 最高じゃないですか!小説の中でね、病室から夕日を見て、「笑いに変えて強く生きていきなさい」って言ったシーンを、なんだか思い出しました。

成海「これから起こる苦しいことや哀しいこと、あなたの全てを笑いに変えなさい」って、あの言葉は、僕がオカンから言われた実話なんですよ。

MASAMIわー、ほんとですか!成海さんのお母さんは、本当に素敵な言葉を残されましたね。

成海

成海今も僕はこの言葉を信じて生きてます。ただね、もし自分ががんとか、命にかかわる病気になって、余命宣告されて、当事者になった時に、「笑いに変える」ってことを、自分が本当にできるのかなぁ、っていうのは正直あるんですよね。そんな強い心が、ほんまに持てるのかなぁって。だから、実際にがんになって乗り越えて、笑って戦うってことを実践としてやられているMASAMIさんを、僕はすごいなって思うし、人生の先輩として尊敬しているんですよ。

MASAMI成海さんね、私が思うにね。がんになっている人の方が強いのかもしれないですよ。それこそ、成海さんのお母さんみたいに。抗がん剤の副作用も含めて、闘病生活って本当にめちゃめちゃ辛いんです。それは経験した人にしかわからないと思います。本当は、しんどい、しんどい、って周りに伝えたいですよ。わかってもらいたいですよ。 でも、言えないです。口に出して、しんどいって言っても周りに迷惑かけるだけなのはわかっているから、出来るだけそういう言葉は口には出さないんですよね。

成海なるほど。そういう考え方があるんですね。病気になったら弱くなる、って思ってしまっていた僕の固定観念でしたね。

MASAMI

MASAMI不安や心配事も、いっぱいある中で、ただ生きていかねばならない。寄り添ってくれる家族のために、死ぬわけにはいかないっていう強さが勝つんです。やっぱり、それは家族のチカラじゃないですか。小説では、駿ちゃんがいたからお母さんも強くなれたんだと思います。がんは個人の病でなく、家族の病じゃないですか?だから、家族が寄り添って、一緒に戦えるから強くなれるんです。

成海そうですね。

MASAMI小説のオカンは最高ですよ!ずっと笑顔だったし、みんなを笑顔にさせようと頑張っていたし。だから、駿ちゃんも笑顔を忘れずにいれたと思うし。理想の親子だと思いますよ。お母さんもちゃんと愛を持って子育てしてきたからこそ、駿ちゃんは優しい息子に育ってくれたんですよ。私もしっかり子育てしなきゃいけないなって思いました。

成海子育てかぁ。

MASAMIそうです。私も一人息子がいるママですから、『尼崎ストロベリー』を読んで、どうしても子育てのことを強く自分とリンクすることも多くて。成海さんと初対面でお会いした瞬間、「あっ! この人すごく穏やかな人やなぁ」てそう感じたんですけど、やっぱりそれはお母さんの子育ての影響だと思うんです。注いだ愛情の量っていうか。やっぱり愛されて育った子は、心も強くて、成海さんのような穏やかな気持ちでいられるんかなぁって思って。

成海天国のオカンも喜びます。

MASAMI子供の頃は、いっぱいお母さんに怒られました?

成海はい! めちゃ怒られました!小さい頃のオカンのイメージは怖いイメージでしたもん。

MASAMI腹たつ、嫌い、って思うこともありました?

成海

成海そりゃ、ありましたよ。でもね、心のどこかで、オカンだけには裏切られへんなって思ってましたよね。揺るがない信頼感っていうか。何をしてもこの人は助けてくれるし、救ってくれるし、そういう安心感があるから、厳しいしつけも聞いてこれたんだと思います。子どもって、そういう目に見えない愛情は感じているんですよね。腹たったことは正直何回もあるし、でも、後から考えたら感謝しかないですよね。

MASAMI今のお言葉、私の子育てにも活かします!

成海安心してください、MASAMIさん。息子さんは大丈夫です。男はみんなマザコンですから。マザコンをこじらせて、小説まで出版した中年がここにいてますから(笑)

(一同爆笑)

成海一部のファンの方が『尼崎ストロベリー』のことを「究極のマザコン小説」って呼んでくれてます(笑)僕も胸を張って、「ジャンルは、マザコンです」って言ってます!恋愛小説、歴史小説、SF小説、マザコン小説みたいな(笑)

MASAMIマザコン最高ですね!(笑)『尼崎ストロベリー』を映画化とかにされないんですか?

成海映画化したいですね。 小説って、文字の羅列の集合体じゃないですか。僕が文字を選んで、並べて、紙に印刷したにすぎないものです。でも、僕の頭の中では、鮮明に映像が流れています。読んで頂いた方も、想像して映像を浮かべてくれてると思うんです。目に見えない、その想像が具現化されたものを実際に観てみたい気持ちはあります。映画であったりドラマであったり、媒体はなんでもいいのですが、映像になって欲しいなって思って。単純にたくさんの方に観て頂けるでしょうし。めっちゃ夢のような話してますけど。

MASAMI絶対に映像化してもらいたいです! ナチュラルキラー細胞や、生きる上での「笑い」の大切さがもっと日本中に広まったら、世の中が明るくなるじゃないですか。だから、絶対、映画化しましょ!

成海この対談をみてくれている映画監督やプロデューサーの方、 是非とも映画にしてください!(笑)

MASAMI成海さん、映画化の夢が叶った際は、アンドゥを宣伝隊長で呼んでくださいね!双子パワーで宣伝しますし、喋りまくりま〜す!!(笑)

成海心強いです(笑)ちなみに、MASAMIさんの今後の夢とか目標ってあるんですか?

MASAMI(叫んで)長生きしたぁぁぁい!!!(笑)

(一同爆笑)

MASAMIだって、長生きしたいんだもーん!!!(笑)あと2年で、私、50歳になるし、切実に、体の中から元気にしなきゃって思ってて。笑って笑って、NK細胞を増殖させて、免疫をアップさせてこれからもハッピーに頑張りますよ!!

成海めっちゃ元気もらえました! 僕も一生懸命に頑張ります!

MASAMI,成海

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