がんでは死なない
余命3カ月から生還する心構え

No,025

村松 紀梨湖

著者No,025 村松紀梨湖

作品紹介

著者No,025 村松紀梨湖

がんでは死なない
余命3カ月から生還する心構え

村松 紀梨湖

がん細胞に「ありがとう」と声をかける――ステージⅣを宣告された患者の心得とは?
医師の声に振り回されない!治療管理ノートに「奇跡を起こす」と書き殴る抗がん剤治療で「ハゲません!」宣言
「生きる」というひたむきな気持ちで治療に臨む。
家族や友人と過ごす時間を思い出し、愛する人と不思議な時間を通して、自分を見つめ直すなかで、「がんに感謝する生き方」を意識するようになる。
がんを「悪」にすることは本当に正解なのか。
がんとの向き合い方が180度変わる闘病エッセイ。

プロフィール

著者No,025 村松紀梨湖

村松 紀梨湖

1944年東京新宿区四谷に生まれる。短大卒業後、1年間OL勤務をした後に結婚。3人の子育てをしながら20年余り専業主婦生活を送る。離婚を経験し、新しいパートナーとともに会員制リゾート施設の運営に関わる。2016年10月、ステージⅣの肺がんで余命3か月と宣告されるが、がんとの会話により奇跡の生還を遂げる。前述の会社の理事として東奔西走するかたわら、自らの経験からがんと闘う人々に寄り添う活動がしたいと本書を執筆。

座右の銘

一期一会
 一期一会という言葉が好きで、巡り合いを大事にしております。出会いとは、まるでみえない糸で皆さんと繋がることのようです。この世で一生の内に出会える人は、ほんの一握りです。なおさら一つひとつの巡り合いを大事にしたいですね。
 私にとって最も大切な出会いの一つは、私が現在理事を務める会社の行方会長との出会いです。がんが発覚した時も、的確な一言で私に勇気と自信を持たせてくれました。このお陰で自分自身のがんと向き合い、「がんちゃんとの会話」が始まり、今があります。それ以外にも、経済面、精神面に潤いを与えてくれて、感謝しかありません。
 行方会長とは天が授けてくれた巡り合いと、心からそう思っております。

書籍に込めた想い

出会いや別れによって多くを学び、がんで余命三か月と宣告されて、自分にも使命があるということに気がつきました。その使命とは、今回がんになったことによって与えられたたくさんの気づきや経験をできるだけ多くの方に伝えることであると思っています。「がんでは死なない!」「副作用で自分はこうはならない」「私はなんて幸せなんだろう!」と、言葉にして脳にインプットすることで、目に見えない力が宿ると強く訴えたいです。

私はがんを患う前は「自分はがんにはかからない」と思っており、それにもかかわらず「がんは他人がつくったものじゃない。食べた物、習慣、ストレス、心が、正常な細胞を狂わせたのよ。自分のことを大事にしていなかったでしょ。だからまず自分の体にできたがんに謝っちゃって。そして気づかせてくれてありがとうって言ってね」と周囲にアドバイスしていたのです。なんて尊大であったのだろうと思います。そんな私はがんになり、知らずのうちに多くの人を傷つけていたと気がつくことができました。自分が患うことで心から「がんちゃん、ごめんなさい!」と思ったのです。真剣に謝り、感謝をすることで、気持ちが軽くなり、許せなかった自分も含めてすべて許せるようになれた気がしました。それからというもの「がんちゃん、私の体の中にいていいのよ。でもこれ以上悪くなると、私も働けなくなるから、いいこにしていてね」というように、一日に数秒ほどがんと対話をすることで、がんも小さいままでいてくれており、転移もしていません。

もちろん、一方通行の会話です。私のがんは聞きわけがよくて、「体重を減らさないこと」と「脱毛しないこと」の二つの約束を守ってくれました。「この人は何をバカなことを言っているのか?」と思われる方もいらっしゃることでしょう。しかし自分のがん細胞と向き合って会話をすることはお金もかからないですし、誰でもできます。潜在意識に働きかけて、免疫力が高まると信じて欲しいのです。その「思い込む力」とストレスや合わない治療などのマイナス要素を「跳ねのける力」が病気と対峙するときに重要なのだと思います。

私自身は何の能力もありません。ただがんと会話して自分の中の何かが変わり、眠っていた可能性や自然治癒力が引き出されたことを実感しました。この激動の一年半の間で私が経験したことを少しでも早く皆さんにお伝えして、「がんでは死なない!」とわかっていただき、たとえがんにかかったとしても、前向きに、普段と同じように過ごしていただきたいという思いをこめました。

インタビュー

『がんでは死なない』が刊行されました。今のお気持ちはいかがでしょうか。

この書籍で今回書き記したことは私だけに起きた奇跡ではありません。皆さんに起こり得ることだと声を大にして言いたいです。この先の時代では、がんを完治することが当たり前となり、「がんでは死なない!」という私の言葉は陳腐なものになるでしょう。「なんかスゴイオバハンがいたな!あの人にだってできるんだから、乗り越えられない壁はない」と自分に限界を感じた際にこの本を読んで、皆さんが活力を取り戻していただけたら幸いですね。

今回出版しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

ステージⅣのがんから戻ってきた私には、さまざまな反省を含めて、自分が体験したことを伝える使命があると感じています。私は余命三カ月と言われても、まったく死ぬ気にはなりませんでしたし、怖くありませんでした。それは「がんでは死なない」と直感したからです。大人の間には、がんはまだ「死の病」という意識が根強くあり、私の周りにも実際にがんで亡くなった方々がいらっしゃいます。私は、皆さんに、たとえがんにかかったとしても弱きにならず、普段と同じ毎日を送っていただきたく、この本を書くことにしました。

どんな方に読んでほしいですか?

現在がん治療中の方、そのご家族、ご友人、だけでなく医療従事者の方々やがんに対して漠然とした懸念を抱いていらっしゃる方、どなたにでも読んでいただきたいと思います。孤独や不安で押しつぶされそうになったとき、この本が前向きに生きる支えとなれば嬉しいです。

座右の一冊

[完全版]生きがいの創造 スピリチュアルな科学研究から読み解く人生のしくみ

著:飯田史彦(PHP研究所)

「生まれた目的」を探していた

ここが魅力

「死後の生命」や「生まれ変わり」に関する研究の数々と飯田さん自身のご体験も交えて、人生のしくみを明らかにするといった内容です。「死後の生命や生まれ変わりを認めると、私たちの生き方はどう変わっていくのか」を突き詰めた飯田さんの言葉に「生まれた目的」を探していた、当時の私は多大なる影響を受けました。

地球は「行動の星」だから、動かないと何も始まらないんだよ。

著:斎藤一人(サンマーク出版)

楽しくて、わかりやすい教え

ここが魅力

斎藤一人さんの書籍は一冊に絞ることができなかったのですが、あえて一冊を挙げるとすると、今回はこちらの書籍をご紹介させていただきます。斎藤さんの書籍は全て、私たちが忘れている気づきを思い起こしてくれます。楽しくて、わかりやすい、らくな教えで、誰でもとり入れることができる、幸せになること間違いなしの書籍です。私も参考にしており、斎藤さんの「天国言葉」を大切にしています。

不運より脱出する運命の法則―あなたは必ず幸せになれる

著:中川昌蔵(文芸社)

運命は「因果の法則」

ここが魅力

中川昌蔵さんは大阪日本橋「中川無線電機」の社長です。突然の原因不明の病気で臨死体験を経たことで、ご自身の使命を思い出し、仕事をやめて「何のために人は生きるのか」「何のために企業があるのか」を説き始めたそうです。幸福は何もしないで待っていても偶然に訪れるものではなく、運命は「因果の法則」によって存在しているということを書籍内で解説しています。

守護霊との対話―中川昌蔵の世界 (未来の智恵シリーズ4)

著:小林正観(株式会社SKP)

守護霊に守られている

ここが魅力

「守護霊に守られて」生きてきた中川昌蔵さんの体験談でもありますが、中川昌蔵さんと小林正観さんの対談形式になっており、守護霊のお話だけでなく、世の中のしくみや構造のついても、それぞれの見解が述べられています。

ヒストリー

HISTORY 01 幼いときに意識した「死への恐怖」

幼いときに意識した「死への恐怖」

これは私の父との写真です。  私は「健康で長生きをしたい」という気持ちがありましたから、余命三カ月と言われても驚かなかったと言えば嘘になります。最初に死を意識したのは小学校5年生のころでした。家業に深刻な問題があり、母に「一緒に死のう」と言われたのです。父は戦後、友人と畳会社を興して社長となりましたが、資金面で窮地に追い込まれ、ストレスからお酒を浴びるように飲むようになってしまいました。そんなとき、母からいきなり「死」というものを突き付けられ、幼心にその怖ろしさを悟った出来事でした。このとき意識した「死への恐怖」によって、「一度きりの人生だから、後悔のないように生きたい」という信条で精いっぱい生きてこられた気がします。私が中学に上がるころには、父の仕事は再度軌道に乗りました。子どもに死を持ちかけた当時の父母のつらさを思うと、心がしめつけられる思いですが、困難にもくじけずに、四人の子どもを育ててくれたことには感謝しかありません。父が私たちに言っていたことは「勉強しなさい」ではなく、「真っ正直に生きなさい」でした。父からは自分の信念を貫くことの大切さを教わりましたので、たとえ期待外れだったとしても、自分が信じた道を歩みたいと思っています。これはがん患者になったとしても同じです。生きているものは、いつも死と背中合わせにある。だから充実した生を送りたいと、その思いを強くする毎日です。

HISTORY 02 反発精神が もたらしたもの

反発精神が もたらしたもの

これは幼いころの写真です。左から父、私、母、双子の妹、祖父と写っています。  皆さん、思い病気を患ったときは専門家である医師にすがるように尋ね、すべてを委ねることが自然なことであると思いますが、私は人の言う通りに生きない人間でしたから、最初から反発していました。余命三カ月と言われても、がんでは死なないと思っていましたし、その反発心が病気と向き合う上で役立ったと感じています。この反発精神は家庭環境により育まれたもので、祖母の存在ゆえであると思います。祖母はとても躾に厳しい人で、畳のヘリを踏んだだけで、ものさしで叩くような人でした。「あなた方は、世が世であれば、~の家柄なんですよ」など、古いしきたりばかりを話していましたので、「世が世ならって何なのよ、今と関係ないじゃない!」と祖母とよく喧嘩をしていました。この反抗心からやがて人が敷いたレールの上を歩くのはいやだと考えるようになり、何事も自分で責任が持てれば、自分の信じた通りにやるべきなのではないかと思うようになりました。そのため、がんの治療に関しても、自分の考えをしっかりと持ち、何でもかんでも医師の言うとおりにするのではなく、自ら判断しようと決めました。先述したことと通じる部分がありますが、もし裏目に出ることになっても、自分がよかれと思って行った判断ならばいいのではないかと思うようにしたのです。

HISTORY 03 「がんを甘くみるんじゃない」と言われ

「がんを甘くみるんじゃない」と言われ

これは双子の妹との写真です。  私たちは一卵性双生児として生まれましたが、性格は全く異なります。妹は祖母の厳しい教えを守る几帳面な性格で、私は大雑把でジッとしていられない性分です。妹は何でも先回りして考えるタイプで心配性なところがあり、私は物事が起きてから考える楽観主義という真逆な性格ゆえに衝突することもあります。妹は乳がんの摘出手術を経験しているので、がんの治療中には「がんを甘くみるんじゃない」と言われました。自分より軽い症状だった人が皆亡くなっているということが私への心配につながるのでしょう。妹は姉が気がかりでいろいろと忠告をしてくれているのだとは思いますが、私はどうにかなるとしか考えていなかったのです。妹だけでなく、他の弟妹も私の病状を心配していましたが、もしかしたら当の本人よりも周りのショックの方が大きかったのかもしれません。

HISTORY 04 家族との葛藤

家族との葛藤

最後に息子夫婦、娘たち、孫たちと写っている写真を紹介させていただきます。  私は息子や娘たちに対して、命令口調で「こういう風にした方がいい」と決めたがるところがありました。子どもたちからは「何でも経験しないで決めることはできないから、自分でやってみて結論づけたい」と言われます。それをもっともな意見だと理解しながらも、固定観念から相手の意見を尊重することができず、常にイライラとしていました。私は家族に対しては横柄だったのです。ストレスばかりを感じていて、やさしくなれない自分がいました。「世の中、すべて感謝ですよ」と人に言いつつも、自分がその意味を一番理解できていなかったのです。がんを患い、自分を顧みたときに、「家族間のそういう状況を生み出したのは、自分自身のせいだったのではないか?」という思いに至りました。私は何でも人のせいにしているうちに、自分自身にダメージを与えて、がん細胞を増やしてしまったと気づいたのです。その気づきによってこの書籍で私が実践している「がんちゃん、傲慢な私に気づきを与えてくれてありがとう!もしがんになってなかったら、今の自分をずっとわからないままだった…」という、私とがん細胞との対話が始まりました。  息子には今回、治療にかかわる一連のことでどれだけ助けられたかわかりません。息子が一緒に人間ドックに入ってくれなかったら、そもそもがんを発見できませんでした。ノーベル賞により話題になっているオプジーボも息子が熱心に調べてくれたことで見つけた治療法です。息子をはじめ、家族には心の中でいつも有り難いと思っています。なかなか「ありがとう」という言葉は素直に言えませんが、絶対的な感謝の度合いは深まっているので、これからも心から感謝できる人間になりたいと思っていますし、人から感謝されることを増やしていきたいですね。

人生を変えた出会い

私は五十歳を目前にして出会った人を心から愛しました。「この人と生きるために生まれてきた」と思えるほど愛した人です。お互いに最初の結婚を解消し、独りになって数年経ったころに知り合いました。はじめは「会社を興すから手伝ってくれない?」と頼まれて、事務作業などをしていましたが、彼の仕事に対する真摯な態度や行動力を間近で感じて、ますます惹かれていきました。彼が信頼のおける経営者を得て、営業部を運営する様子を見ていたら、私ももっと主体的に働いてみたいと思うようになりました。最初は働く必要はないと彼に説得されましたが、私がまじめに取り組みたいという気持ちを伝え、「絶対に愚痴は言いません」と言うと、それならやってごらんと応援してくれるようになりました。今では仕事は私にとって生きることそのものです。彼は私に一人の仕事人として生きることと、愛する人のために女性として生きることの両方を人生にもたらしてくれました。子育て期間も充実した日々を過ごしましたが、彼と暮らした年月は自分の喜びを最優先にしていい唯一無二のひとときでした。

 そんな時間も長くは続かず、彼は五十九歳で亡くなり、十二年が過ぎようとしていますが、今でも変わらず、彼のことを一人の人間として信頼し、尊敬し、心から愛しています。彼の死に関しては神秘的な体験があったことによって、私は死後も、彼は私のそばにいて私を守ってくれていると感じています。詳しくは書籍の中で、ご説明しましたが、私はこの世に守られていない人は存在しないと思っています。生まれたときから守護人さまがついており、その後も縁のある誰かが皆さんを見守っていると信じています。「愛する人がいなかった」、「結婚していなかったから」ではなく、自分のことを気にかけて必ず守ってくれている人がいる。目に見えない力が働いているということを信じて欲しいです。信じることで、幸せをたぐり寄せる力は増すと思います。また、私ががんを患いつつも前向きに日々を過ごせるのは、こうした力を信じ、「生かしていただいてありがとうございます」という感謝の気持ちを忘れず、心の健康を保っているからでもあると感じますね。

未来へのメッセージ

今はがんちゃんも落ち着き、二週間に一度のオプジーボ投与や検査を受けること以外は入院することもなく、自宅で過ごしています。また、仕事にも復帰し、月に数回出張に飛びまわれるほどまで回復しました。長女と二人暮らしなので、食事に関しては彼女が体にやさしい献立を考えてくれていますが、卒煙もしましたので、現在はがんにかかる前よりも健康的な生活を送っています。
 この一年余り医療関係者の方々をはじめとして、いろいろな方との出会いがありました。自分が経験させてもらったことを伝えるべく生かされていると強く感じ、すべての巡り合わせは偶然ではなく必然であったと、出会った皆さんに感謝しています。今まで見過ごしてきたたくさんの幸せに気づいたのも、がんになってからです。これからもプラス思考になれることを拾い集めていきます。今後はこれまでがんであることを隠して悩んでいたり、一人になると弱気になってしまうがん患者の人たちと手をとって、皆さんの心が晴れやかになるよう、お手伝いができればと思っています。
 退院してちょうど一年が経ったころに病院のアンケートに答えましたが、何ページにもわたって「がん患者がどのような死を迎えることを望んでいるか」を問うものでした。これから生きようとしている人に対する質問とは思えず、医療現場の方々に、患者の回復を一番に考え、前向きに生きることを応援するような姿勢を根底に持ってほしいと強く思いました。最近、がん治療を受けられる患者さんの年齢が低くなっているように感じます。若い方の場合、最初は元気であっても進行が速いという話を耳にしました。また、医療従事者である看護師の方々の中にも、がんを患っている方がいらっしゃるのです。がんは今では日本人の二人に一人がかかる病気とされています。しかし、化学療法室には若い方でもやっとの思いで来ている人たちが大半です。少しでも前向きに生きる活力を患者に与えるようなケアが患者自身の力に委ねられるのではなく、医療現場の姿勢として必要なのではないでしょうか。
 がんを告知されてから一年以内に自殺する率は二十四倍にもなるそうです。とても悲しい現実ですが、がんのことをもっと事前に知っていれば、悲観して死を選ばなくてもいいはずです。がんにかかった方は全体で三分の二が治り、早期ならば九十五パーセントの人が治ると言われています。私は早期治療ができたわけではありませんが、無事余命3カ月から生還できました。がん患者の数だけ治療方法があり、私の治療プロセスが全ての方の参考になるとは思っておりません。しかし、少しでも多くの方に、がんとわかった際には「どうしよう」ではなく、まず自分も周りも大丈夫と思っていただきたいです。そのためにも私の経験が少しでも皆さんの心の支えとなり、勇気となることを願っています。