LET IT GO ありのままに
~ノーマライゼーションに一生を捧げて~

No,011

須藤 祐司

著者No,011 須藤祐司

作品紹介

著者No,011 須藤祐司

LET IT GO ありのままに
~ノーマライゼーションに一生を捧げて~

須藤 祐司

旧満州で生を享け、下町に育った野球好きのやんちゃ坊主が、長じて医療と福祉を志す! 事業家として成功していた父親譲りの才覚で、 透析時代の幕開けを告げる専門病院「嬉泉病院」を開設! 日本で最初の自閉症者入所施設「のびろ学園」も引き継いで、 ノーマライゼーションの実現に驀進! 医師として、経営者として、40年余り尽力してきた男の波乱万丈の一代記。

プロフィール

著者No,011 須藤祐司

須藤 祐司

医療法人社団嬉泉会理事長、社会福祉法人嬉泉理事長。1939年、旧満州奉天市生まれ。日本大学医学部在学中に腎臓病研究で知られる大島研三、杉野信博に師事。卒業後、同大学での腎臓内科勤務を経て、1973年、東京都葛飾区に嬉泉病院を開院。その後さらに4施設を開設して、日本における透析治療の普及に大きな役割を果たしてきた。さらに、発達障害臨床の第一人者である石井哲夫の自閉症児・者の療育活動を支え、障害者福祉にも尽力。日本医療法人協会副会長時代の医療法人制度改革への貢献によって、2014年春の叙勲で旭日小綬章を受章した。

座右の銘

世に生を得るは事を成すにあり

一度の人生、生を享けたからには何かやってやろうじゃないか!  反骨精神の塊のようであった少年時代に、世のため人のためになりたい、 多くの人たちの命を救う仕事に就きたいと強く思った。 私を突き動かす原動力は「利他の心の実践」であると思います。 腎疾患の方の救済、自閉症児・者をはじめとした障害者の援助などを行なって きましたが、未だ道半ばと思っています。 超高齢社会の日本で皆が生きがいを持って輝ける地域づくりをする事も、 私の成すべき事と考えておりますし、必ず成し遂げる気概でおります。

座右の一冊

道をひらく(PHP研究所)

著:松下幸之助

世のため人のために尽くしたい

ここが魅力

自分には自分に与えられた道がある。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。 少年時代に世のため人のために尽くしたいと考えたあの時。 本気になって、真剣に医師となる志を立てたあの日。 逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きてきて、 そして今の私がある。 私が医師として経営者として、時に悩み迷った時に力を与えてくれた 1冊であると言える。

ヒストリー

HISTORY 01 1939年 両親の腕の中で……

1939年 1歳

両親の腕の中で……

昭和 14 年、父・晃弘が事業を展開していた旧満州(現・中国東北部)の奉天市青葉町で生を享ける。1 歳のとき母の腕の中で

HISTORY 02 1939年 両親の腕の中で……

1939年 1歳

両親の腕の中で……

父に抱かれる 1 歳の須藤。後列左から、姉の長女・貞子、母・當枝、父・晃弘、前列左から、妹の三女・容古、須藤、姉の次女・晃古

HISTORY 03 学生時代 シュバイツァーに憧れた学生時代

学生時代

シュバイツァーに憧れた学生時代

日本大学医学部 2 年生時の同級生と須藤(右)。医師として必須の研修で、人体解剖に臨んでいたときの様子

HISTORY 04 学生時代 シュバイツァーに憧れた学生時代

学生時代

シュバイツァーに憧れた学生時代

医学部 3 年の頃、茶室になっていた自宅の離れにて

HISTORY 05 学生時代 シュバイツァーに憧れた学生時代

学生時代

シュバイツァーに憧れた学生時代

医学部 5 年のとき、同級生たちと遊びに行った筑波山の麓での一枚

HISTORY 06 1968年 結婚

1968年

結婚

昭和 43 年、柴又の料亭「川甚」で結婚式を挙げ、玄関先でツーショット。 この後、新婚旅行に出かけたが、急患でとんぼ返りしたのも今では懐かしい思い出

HISTORY 07 理想の継承

理想の継承

腎臓病医療と人工透析の普及に大きな功績を残した恩師たち 大島研三先生(中央)、杉野信博先生(左)と、筆者・須藤祐司 平成7年、パレスホテルで大島先生の米寿祝い

HISTORY 08 理想の継承

理想の継承

現在の須藤(中央)と、彼を支える各嬉泉病院病院長 右から、嬉泉病院病院長・上畑昭美、大島記念嬉泉病院病院長・勝然秀一、春日部嬉泉病院病院長・丸山寿晴