素晴らしき哉、貧乏! あるいは、日々の暮らしに隠れる 「創意工夫」の源

No,046

大塩 俊

NO.46 大塩俊

作品紹介

NO.46 大塩俊

素晴らしき哉、貧乏! あるいは、日々の暮らしに隠れる 「創意工夫」の源

大塩 俊

「貧しさ」のなかに光る先人達の「生活の知恵」。かくも豊かな「貧乏」を楽しむ、珠玉の随筆集

プロフィール

NO.46 大塩俊

大塩 俊

プロフィールを書くことになって、困惑した。
もうすぐ83歳になる私だが、振り返って見ると高校を何の気なしに卒業し、親の希望もあって農業に10年携わった。この間何か計画やら、希望やら、目標があったろうか。
その時々の現象に流されて時が過ぎた。
農作業の必要性から生まれた製品を作って、仲間に販売したのを切っ掛けに右往左往しながらメーカー業らしくなり現在に至った。
旅行をするにも行き当たりばったりで殆ど計画を立てない、未知の世界へゆきたいからだ。新幹線もグリーン車や、座席指定は避ける、何故なら乗車時間に拘束されるからだ。
事前に行き先の事について詳しく調べない。物臭さも半分あるが、鮮度が薄れることを嫌うからだ。初々しさが薄れてしまう。驚きこそ私の最も嬉しい瞬間である。
現在も冒頭記したように未来に対して、希望、目標、計画、努力、をしない。
しかし私はこのような生き方に対して全く後悔していない。

座右の銘

「本当にそうなのか」
何事も先入観にとらわれないで、問いかける。

なぜ、この言葉を座右の銘としたのかと言うと、
筆者も還暦頃から、過去の良かったこと悪かったことの経験から「世の中の多くの常識、知識が間違っている」ことを敏感に感じ取れるようになってきた。
「本当にそうなのか」この問いかけが自然に意識の中に出てくる。
世の中には政治、経済、医療と分野を問わず「おかしい」「変だ」「本当なの」を連発したくなることが沢山ある。
拙書「素晴らしき哉貧乏」と明年出版予定の「人体実験、自分の体で」の基本テーマは「おかしい、変だ、本当なの」である。


拙書で「空腹は錯覚である」と時々述べている、実際に空腹を感じなくなったのだ。筆者は小食を旨とし、いわゆる美食をしない、ご飯、パン、肉、肉加工品、鶏卵、魚、乳、乳製品、各種かん詰、などを殆ど食べない。飲み物といえば各種ジュース、コーヒーなど飲まない、飲むのは水道水だけと徹底している。美味しくないからである。
友人:君は一体何を食べているの?
筆者:ヒンシュクを買うことを、覚悟して「夢を食べている」と云う。本当のことだ。

インタビュー

貴著が刊行されました、今のお気持ちはいかがでしょうか。

書籍の発行によって、自分の中にあった「宝物」を不特定多数の方々に見ていただける喜びを感じております。
少しでも心を動かしていただけたら望外の幸せである。

今回出版しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

以前クラスのメンバーの有志で書籍を出すチャンスがありました、これは書籍ではあるけれども、いわゆる出版と違って、仲間同士以外の広がりがありません。書籍を手に取っても筆者の顔が眼前に浮かんできて、自由な気持ちで読むことは不可能である。虚しさが残りました。これは単なる印刷物だったのです。
それでも日記と違って自分以外の方の目に触れる喜びを手にいたしました。
印刷物ではない書籍の発行である「書籍の出版」を決意いたしました。
以前から書籍を通して親しんでいた「幻冬舎」が真っ先に頭をよぎり依頼した。

どんな方に読んでほしいですか?

何にでも興味を持てる方に、手に取ってほしい。
世の中には矛盾、間違いは多く存在している、日常の習慣や慣例、常識に対して原点に帰ると疑問ばかり湧く、本当にそうなのか?標準とか、規則正しくとか誰が決めた?
こんな疑問をいつも持っている方に読んで欲しい。

座右の一冊

私にとっては、すべての本が「座右の一冊」と言えないことはない、書籍を現す人の熱意が伝わってくる書籍はすべて貴重だ、強いて言えば「座右の100冊」がいい。

人生を変えた出会い

今まで人との出会いは多い、天邪鬼を決め込んで「全ての出会いが私の人生を変えた」としておきたい。

次作の構想、実践している健康法など

次作はすでに殆ど「完全原稿」になった、出版社にお届けするばかりだ。
この作品は、結果的に健康法一辺倒の内容になった感がある。
医師ではない素人の書籍がどこまで信用されて理解して頂けるか、筆者の至らなさは勿論のことであるが、読者が偏見なく目を通す寛大な心をお持ちかどうかも問われている。

テキストのコピーはできません。