はなととりとのゆきものがたり

No,48

作:本多佑季子 絵:布施瞳

No.48本多佑季子 布施瞳

作品紹介

No.48本多佑季子 布施瞳

はなととりとのゆきものがたり

作:本多佑季子 絵:布施瞳

地上に降り積もる、真っ白な雪。おうちの屋根も、小道も、公園も、街中を美しく包みこむ雪は、眺める人の心にそっとしのび込み、誰かに思いをはせるきっかけを与えてくれたのです――。
天国でくらす、白いはなと、白いとりが、天使の言葉であることを思いつきます。やがて地上には、素敵な贈り物届けられました。
柔らかなタッチで描かれた絵と、心にしみる優しい言葉で綴られた世界。読み終えたとき、大切な誰かの顔がきっと心に浮かぶ一冊。

作:本多佑季子

No.48本多佑季子 布施瞳

プロフィール

自分の大切な作品のはずなのに、悩むことは多く、どうしても題名が思い浮かばない私のかわりに考えてくれたのが、しみずあんずさんでした。
このお話は私が出遭った全ての人たちで出来ています。

インタビュー

私の父とは、6歳の時に一度会ったことがあるきりで、現在、私は42歳になりました。
父にとって、私と母は必要な存在ではなかったのかもしれないと根拠もなく漠然と思いながら育ちました。そして父を勝手に嫌悪していました。

父は再婚してお子さんもいるとどこかで聞いて、父と、新しい御家族が幸せであるといいとなんとなく思っていました。思春期も、父に会ってみたいと思ったことはなく、ただ父の今の環境に立ち入ることはしない、と決めていました。

それが、私が出来る、父と父のまわりの人達を大切にできるたったひとつのことだと思っていました。

思いがけず、たくさんの出会いを通して絵本を出版することになり、諦めていたたくさんの事を学びました。否が応でも自分と向き合う事になりました。
そして、自分の不器用なところは、もしかしたら一度しか会ったことのない父に似ているのではないかと思うようになりました。はじめて身近な人に父のことを聞く気持ちになり、知らなかった話をいくつも聞きました。
私が思っていたよりずっと、一途なところのある人でした。

人の中身を知り尽くすことはとても出来ないことですが両親や、身近な人が離婚、再婚することの機会が多くなった現代、
子供たち、そして、関わっている方々に、お父さん、お母さんはどちらが間違っていたとか、良くなかったとかいうことをこえて、2人とも精一杯生きてきた。
だから迷わずに、それぞれが前に進んで行けばいいのだと思っています。

絵:布施瞳

No.48本多佑季子 布施瞳

プロフィール

東京都出身。
1985年武蔵野美術大学造形学部視覚デザイン学科卒業後、フリーランス・イ ラストレータへ。
1996年イギリス・クアルト出版より発行のイラストレータ百科事典に世界のイラストレータとして作品が掲載。
アナログとデジタルの境界を越えた近未来のアートに邁進中。
目に見えるもの、手で掴めるものはすぐに消えてしまう事があります。
永遠に残る人の心、大切な愛を絵の中にちりばめていけたらと思っています。

座右の銘

『恐れるな。わたしは、あなたの名を呼ぶ。』(イザヤ 43章1節)

私が大変お世話になったシスターの愛した聖句です。
普段優しくて慈愛溢れる笑顔で、窮地に立たされた方を優しく包む並々ならぬ人格者でしたが、このような棘道を切り開く”覚悟”のフレーズを指針となさっていたシスターの、その振り幅の広さに頭を垂れるのみです。

深淵の闇のなかで、自らを鼓舞する、力強いことばです。
私も、自分に厳しく人にはあまりにも慈悲深い、そんなシスターに少しでも近づければ。。と、思っています。

書籍に込めた想い

絵本というものは幼き頃に忘れえぬ決定的なインパクトを持って、その方の一生に影響を及ぼしたり、人生の指針になりうる可能性を持っていると信じています。
いつかこの絵本を御読みになられたお子様が成長なされて、命の尊さや代償を求めない無垢な心をそのまま紡いで頂けたらこれ以上の喜びは有りません。

人の一生は良いときも有れば悪いときもあります。光多くあたる所、影また深しです。
辛い時にこそ、試練を前向きにとらえて行きていけるかどうかで、未来は変わるものだと思います。へこたれず、誰かと比べず、人のせいにしないでひたむきに夢に向かって歩んでゆけば必ずそこに恵みは訪れると思っています。

それでも辛い時、大切な誰かがそばに居てくれる、それだけで勇気が湧くのです。人のご縁は必ず意味が有り、お互いに支え合い、この世界を輝かせて行くものだと思います。
大切な誰かといまを育む、そして今は会えなくなってしまった誰かとまた会える日まで頑張ろう。そういう願いを込めて心血注いで描きました。

インタビュー

貴著が刊行されました、今のお気持ちはいかがでしょうか。

いままでは広告や顧客の方のご依頼に合わせた作絵やデジタル・イラストと、媒体的にはピンポイントな展開が多かったのですが、初めて絵本の作絵と向き合い、実際書店で平台に乗っている刷立てほやほやの紙本の暖かみに改めて感動し、多くのお子様やお母様に観て頂ける喜びを有り難く思いました。

イメージ以上の上製本に仕上がりオビの色も愛らしく、ご担当頂きました編集部の方、デザイナーの方に大変感謝しております。
本多さんから作絵の打ち合わせの中で『一枚の絵画の様に、精神性の高い作品にしたい』とのご希望を叶えるべく、今までにない作絵表現を試みましたが予想以上の仕上がりとなったことに安堵しています。

長年の制作スキルを一回初期化して無心での描きおこしに努めたキャラクターに好評を頂き、大変嬉しく思います。
また、制作中は気が付かなかったのですがちょっと中世の画家”ジョット”みたいに描けたところがあり、光栄に感じています。

今回出版しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

本多さんから作絵のご依頼を受けて、初めて原稿を読ませて頂いた時に崇高で深遠ないのちのテーマに胸が熱くなりました。
人の為に自らを犠牲にすることをいとわない勇気と慈愛、そして代償を求めない純粋なこころ。さいごにご褒美があること。

画像にするには多少難しいテーマでもあっただけにこれが絵本になったらどんなに凄いだろうと思いました。

原稿拝読中に一番に頭に浮かんだイメージに近づける為に何度もラフを描き起こし、少しでもイメージとズレたら予定調和するのでなく、最初からラフを描き直して見直しながら進めました。
私は個人的にはエキセントリックな画風が多い中で、唯一無垢で真っ直ぐな絵本に仕上げたいと思いましたので、思う様に描き上がりまして嬉しく思います。

どんな方に読んでほしいですか?

お子様向けの絵本ではありますが、大人が泣いてしまう絵本として描きました。
大切なかたとの別離、肉親との永久の別れにより埋まらなくなった心の空洞に少しでも寄り添う事が出来たら幸いと考えます。

天国とこちらの世界は遠いように思いますが、気持ち次第では結構近い様に感じます。今は別々の所にいますが、理由があって近づいたり離れたりを繰り返してお互いの高みを目指すトレーニングをしているように思います。

描いているときは気がつかなかったのですが、出版後知人に”生きづらくなった方に是非読んで頂きたい「愛」溢れる絵本です。心が温かくなりました”と感想を頂き、其の様なお役目まで出来るのであれば誉れと存じます。

座右の一冊

『ルドルフ・シュタイナー』

著:F.W.ツァイルマンス・ファン・エミヒョーベン

小学校2年の頃、鏡を見て自分は誰なんだろうと思いました。
私が命令すると私は耳を引っ張り、さらに命令すると口を曲げる、命令しているのは私なのですがそれに従い引っ張ったり曲げたりしているもうひとりの私との不思議な師従関係。
シュタイナーの本と出会い、身体とは外界を経験する為の感覚像であり、五感器が感じた反応の総合であり、五感器が停止してしまうと”もの”としての存在でしかなくなり、死に関しての肉体の消失は永遠の死ではなく、物質としての肉体が消滅しても意識そのものは滅びる事は無いと説いている事に一筋の光を観ました。
そして肉体と魂の分離について身体、魂、霊分野と3層性を説き、なぜ生きるのか?なぜ死はおとずれるのか?何処からやって来て何処へ行くのか?といった知覚や感情だけでは解決不可能な疑問を解く方法の提示に、解き放たれた心地良さともに無軌道ともいえる幼少期の感覚が軌道を確保して覚醒し、敷居の高かったはずのシュタイナーがとても身近な師と感じる不思議な感覚になりました。
シュタイナーは幼児期の不思議な体験から、その力を発達させて世間を芳醇化する安易な道はとらず、もっと困難な道つまり現代的な科学者たろうとしました。
理論武装する事で荒唐無稽ともとらえられる人智を越えた力をも見事に説明してしまい、その天与のバランス感覚の鋭さに感服と尊敬を覚えるのでした。

人生を変えた出会い

28年前、母が脳腫瘍と宣告を受け、難しい手術で全摘は無理と診断を受けました。
私はいつのまにか近所のマリア・カテドラル教会にふらふらと出かけ、入り口の売店で(座右の銘でご紹介しました)シスターに初めてお会いしました。

シスターは『貴方はとても重いものを背負っていらっしゃるようですが、良かったらお話しして下さい』といって下さり、そして、『これは落として売り物にならなくなった御メダイですが、お母様の検査入院の時にベッドの近くに付けてお守りにして下さい』と言って下さいました。

暗闇の中で小さな灯火を頂いた気持ちでした。難しい検査入院の結果腫瘍の全摘は無理でこのまま病気とながらえるしかないと医師から診断を受け、”手術して完治するまで帰らない”と言ってきかない母をベッドから剥がし、ベッドにつけていた御メダイも持って帰ろうとしてみた時、御メダイがぼろぼろになっていました。そして現在母の腫瘍はすっかり消えてしまい、元気に暮らしています。
人智を越えた力を真に感じた瞬間であり、私が背負った試練を信仰の力で軽くして頂いたシスターに深く感謝しました。

その後シスターとは移動の関係で遠方になってもクリスマス・カードのやりとりをして、『あなたが神様から頂いている恵みが充分に発揮出来る様に』と祈って下さいました。
この絵本の作絵中にシスターは急に天に召されてしまいました。

間に合わなかったと悔やみ、一時筆が止まりましたが、それでも修道院長からのお手紙に同封されたシスターの笑顔の写真にあゆみを進める様に促され、気持ちを奮い立たせてこの絵本が完成しました。
母の命の恩人であり、私の心の支えになってくださったシスター、私が召されたらまた温かな笑顔で迎えてくださりますよう、今はこちらで頑張ります。

未来へのメッセージ

今、日本がユートピアになるかデストピアになるか最後の分かれ道に来ていると思います。

先人から受け継いだ日本の伝統文化や精神を私たちの代が若い方達に手渡して行けるか私なりにささやかでも活路を見出して行きたいと思っています。

人間が生きていく上で大切な誠実、友愛、慈悲。これら、お金にかえる事の出来ないものは、残念ながら目には見えません。
利益追従の方々のものさしには、目に見えないものは計れないかも知れませんが、本当の豊かさというものは何か、それを人間本来が兼ね備えている想像力とインスピレーションを持って視覚化する術は有ると思います。

制作というものは孤独との闘いですが、孤独ではなく孤高と思い直し(笑)心身を研ぎ澄まして内なる声を視覚化して皆さんの心の琴線に触れる事が出来たらそれが私の最高の至福と考えます。