第二回WEBコンテスト「イチオシ!」エッセイ

フォトエッセイ部門北国の朝

著者名:岡内 祐治

この写真を撮ったのは冬の北海道を撮影旅行中のことだった。

旭川から北海道入りした私は、1日旭川に滞在したのち、釧路行きの夜行バスの乗客となった。少し前なら釧路行き夜行列車が走っており、鉄道が好きな私ならそれに乗ることを選んだだろう。しかし今、夜行で釧路に行く方法はバスしかない。ある意味「しかたなく」バスに乗ったわけだが、バスの進化に驚いた。座席は快適で、保温性も良いし、綺麗なトイレまでついている。少し前に夜行快速として有名な「ムーンライトながら」に乗ったが、夏なのにとても寒く、座席は硬いしトイレは古かった。これでは夜行列車が夜行バスに負けてしまうのも納得である。こんなことを考えながら眠りにつき、朝5時過ぎに釧路駅前に到着。

6時頃、釧路駅発の釧網線の一番列車に乗車。車内から見えた朝日がすごかった。徐々に姿をあらわした朝日が、木々の、地面の雪をきらめかせ、オレンジ色に染める。これほど美しい朝はそう見られるものではない。この日は予め調べた有名な展望台に向かった。ところで、有名な撮影地に行き、同じような写真を撮るのには少し抵抗がある。有名撮影地で作例と同じ構図、状況で撮る「コピー写真」になりやすいからだ。コピーして写真を撮ってもそこに個性があるのかは私にとって疑問である。この「コピー写真」は絵の模写と同じだ。構図取りや明るさの取り方の練習にはなれど、それを「作品」とするのは少し違うのではないか。たとえ場所は同じでも、切り取り方や時間帯、さらには虹、霧などの状況によって、全く別の印象になり、風景の美しさや作者の気持ちが別のものより強く伝わる作品になる。セオリー通りのものを使ったとしても、何か違うものがあれば、その作品は個性ある「作品」なのだ。だが、作例によく似た写真は「作品」とはいえないかもしれない。

とは言いつつも、有名になるほど美しいものは見てみたいというのも人情である。ここは「観光」気分で登ることにした。サルボ展望台入り口と書かれた頼りない看板から遊歩道に入る。人の足跡や木にくくりつけられた目印を頼りにほぼ山道のような道を登っていく。途中、大きな鹿の足跡に惑わされたり、鹿に出会ったり、膝上まで雪に埋もれたりする。そうしてなんとかサルボ展望台に到着。特に冬季閉鎖などとも書かれていないので登る。ネットで見てはいたものの、実際に苦労してたどり着くとやはりその風景の美しさに感動する。だが、ここは最終目的地ではない。さらにその先のサルルン展望台を目指して、小さな目印、足跡、GPS、人工物をフルに使いながら歩く。一面の雪に埋もれた斜面の中で人工的な手すりを見つけた時の感動は、実際に通ってみないとわからないだろう。これ程到着に苦労するにも関わらず、私以外に3人も人がきたというのはいくら有名地でも驚きである。それほど有名な展望台であるだけあって、そこからの風景はとても美しかった。昨今はインターネットでなんでも調べられるし、なんでもみることができる。だが、「本物」を見た時の感動はやはり本物を見た時にしか味わえない。確かに、期待を膨らませすぎて実際とのギャップに幻滅する例(たとえばガッカリ名所)もある。それでも幻滅への恐怖を克服し、自分で訪れようと思うのは「本物」を見たいという気持ちが沸き起こるからではないだろうか。そう考えれば「コピー写真」も、「本物」を見た証明だと考えれば「作品」とは別の存在意義もあるように感じられる。私も自分なりの工夫はしたものの、定番を抜け出せたかは微妙だった。方角を確かめ、朝日が見えそうだとわかると、「ここからの朝日がみたい」という気持ちが沸き起こった。もっと美しい景色が見られるかもしれないと思ったのだ。