コラム

郷里の特攻隊員の死**

『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』の著者によるコラムです)

 去る7月1日会津若松市で大学時代の同級会が開かれた。このとき友人の目黒節子さんが『きけわだつみのこえ』(光文社)を持ってこられた。その中に会津若松出身の学徒兵長谷川信さんの日記が掲載されていたからだった。これを示されたとき私は驚き胸が苦しくなった。自分が生まれ育った会津に、特攻隊員として戦死された方がいることにそれまで気づかなかったからである。

 私がこの書を読んだのは学徒出陣50周年の年1993年の11月だった。一読して掲載されている戦犯として刑死した木村久夫さんの遺書に衝撃を受け、取材を重ねて『奪われた若き命―戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』と題して幻冬舎から自費出版した。このようなことがあったにもかかわらず、長谷川さんの日記を心にとめることができなかった。このことに対する苦しみと公開の念が、一文をしたためなければならない思いにさせ、幻冬舎のコラムに書くことにした。

 長谷川さんは会津若松市の老舗菓子商の家に生まれた。本文である日記の前に記されている略歴は「明治学院高等部学生。昭和18年12学入営。20年4月特攻隊員として沖縄沖にて戦士。23歳」である。ここで日記を紹介するが、そこには戦争への批判が強い筆致で記されている。その部分を20年1月18日の日記から示そう。

 「今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなくただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。敵対し合う民族は各々の滅亡まで戦を止めることはできないであろう。恐ろしきかな、あさましきかな、人類よ、猿の親類よ。」

 また前年の29年22月29日には、自己の死を直視し、そのことを胸に家族を想う気持ちが記されている。「俺たちの苦しみと死とが、おれたちの父や母や弟妹たち、愛する人達の幸福のために、たとえ僅かでも」がそれである。長谷川さんの優しさが胸を打つ。

 長谷川信さんは2016年7月7日付朝日新聞「ザ・コラム」に編集委員駒野剛氏によって取り上げられた。それには明治学院大学「百年史」に長谷川さんの悲劇的な人生が1章分を費やして記録されていることを紹介したあとに、「長谷川信ひとりの悲劇ではなく、学院に学び、そして戦場に臨み、死をよぎなくされたすべての者に共通の悲劇であった。この悲劇を2度と繰り返すべきでないことはいうまでもない。」と記されている。私自身強くこのように思う。会津若松市の西連寺境内にある「平和の碑」の台座には長谷川さんの日記の一部が刻まれた銅版が埋め込まれていおり、県内外から多くの人が訪れ、平和への想いを新たにしている。

 

■著者紹介
『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』(山口紀美子・著)
1941年、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)に突入する。日本では多くの国民が徴兵され、戦場に向かうことになった。そんな時代に行われた学徒出陣で徴兵された若者たちの中に、木村久夫という一人の青年がいた。
終戦後、戦地であったカーニコバル島の島民殺害事件に関わった人物として、木村久夫さんはイギリスの戦犯裁判にかけられ、死刑を言い渡された。その時木村さんが書いた遺書は、学徒兵の遺書をまとめた『きけわだつみのこえ』に収録されたことでよく知られている。
その『きけわだつみのこえ』を読み、木村久夫という個人に心惹かれた著者は、木村久夫さんの妹、孝子さんと何年も文通を重ね、木村さんのことをさらに深く知っていった。その後、孝子さん夫妻と実際に何度も会い取材を重ねていく中で、著者は木村久夫さんが歩んできた人生の足跡を辿っていくことになる。

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