本書の趣旨はタイトル通り、平安朝後期(11世紀初頭頃)の“宮廷(後宮)観察日記”(34~40頁参照)とも言うべき『紫式部日記』の解説書である。『紫式部日記』(以下『日記』とする)と言えば、(帯にも見えるが)私も第一に「清少納言」に対する辛辣な批評と自己意識の強い女性であるというイメージを持っている。かかる視点のみで本書を読むと、些か肩透かしを食らうところがあるように思うーーそれが私の通読した第一印象である。著者には(夫婦と推察される)2名のクレジットがあるが、第1~3章+補章の構成で本書の趣旨に直接に関連しない『源氏物語』の研究履歴(エピソード)などを綴った補章のみ「田中睦子」氏のクレジットがあって、第1~3章は主として「田中宗孝」氏に依るのであろうと推察される。全体に『日記』本文の引用と現代語訳(要約もある)を並列しながら、これに関わる紫式部自身の意図、意識、心情、本音と言った心理を解読し、また『日記』本体の目的・全体像を明らかにしていくものである。著者はまず紫式部(及び父)と『日記』のプロデューサー(後宮観察記の依頼人)であり紫式部の庇護者である藤原道長(当時は正二位・左大臣:42頁参照)との関係から、紫式部の中宮彰子への出仕を不承不承と捉える(第1章)。そして(ほぼ通説に従って)紫式部の文才(既に『源氏物語』が宮廷では知られていたことから)を見込んで、中宮彰子と皇子(敦成親王)誕生の慶事(彰子を取り巻く宮廷・後宮の情況ーー道長自身の権勢を反映するもの)を記録させる目的との理解の前提で(34~42頁)、『日記』を各史料や当時の情況等から実証的に読み解いていくものである。
個人的には、『日記』の執筆時期と『源氏物語』との時間的関係性を巡る推論(36~40頁)、道長の紫式部への制作指示(記録の細やかな指示)の推論(40頁以下・63頁以下・116頁以下・122頁以下ほか)など論理的でなかなか面白いと思う。道長自身が右のように、紫式部に宮廷日記のプロデュースをしていた頃には、自ら(いわゆる)『御堂関白記』も記述していたほどであるから、著者の観るように紫式部への細やかな指示は考えうるところだろう。ただ1つ注文を付けると、一部の叙述には著者の推論なのか『日記』に見える道長の言葉(推測)なのか、明確でないものが散見され戸惑うところもある。巷間仄聞する『日記』に見える紫式部と道長の(男・女の)関係性を示唆する和歌の贈答について(146~148頁)、著者は「道長が軽口をたたき、紫式部が愛想よくこれに応じている」と深入りを避けている。しかしながら当時の紫式部が寡婦であったことや宮廷風俗から察するに、道長が紫式部の局を夜に訪問したと観たほうが自然だろう(このような事情はそれこそ『源氏物語』に詳しいはずである)。また清少納言への辛辣な批評について(122頁以下)、道長は紫式部だけでなく和泉式部も庇護しているから和泉式部に対する『日記』の筆致が肯定的(擁護的)なのは当然であるところ(124頁)、これと対照的な清少納言への辛辣さはその目的を問うまでもなく、道長自身の立身を考慮すれば明らかだろう。
関白道隆及び弟の道兼が相次いで“薨逝”したことから、朝廷の実権を握った道長は、後ろ楯を失った中宮定子(関白道隆の娘)に対抗するように、一条帝に娘の彰子を入内させ強引に「一帝二后」を実現させている(28頁)。道長にとって皇后定子が邪魔なのは火を見るより明らかで、その中宮定子の女房であり彼女を取り巻く“後宮サロン”の中心にあった清少納言(紫式部の出仕時には既に引退済)を、道長肝煎りの紫式部が称賛する道理はない。著者は紫式部の中宮彰子への気配りとして、中宮定子(及び清少納言)の志向したような「刹那の情趣」にうつつを抜かす華やかな“後宮サロン”ではなく、落ち着いて「世の中や人の心」を見据えることを重視するが故に(道長へのメッセージとして)、清少納言への辛辣な批評があると観るが、私見では(和泉式部との比較から観ても)むしろ道長自身の意図または道長の権勢の表象と観るべきだろうと思う。『紫式部日記』にしろ『源氏物語』(補章)にしろ、色々な読み方(読解)・評価はあるところで、本書も『紫式部日記』の背景と藤原道長のプロデューサー的役割への着目は興味深い。

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紫式部日記解読 天才作家の心を覗く 単行本(ソフトカバー) – 2015/6/17
道長の要請によって書かれたとされる紫式部日記。
中宮彰子の出産や、華やかな行事にあふれた宮廷を描写しているようにも思える日記だが、著者はそこにたぐいまれな人間観察の筆致を見る。
たとえば皇子誕生の祝いの場で、一見くったくなくたわむれているようであっても心中穏やかでない人たちを描く紫式部の洞察力が見逃すことはなく、
馬鹿な男、立派な男をどのようなことで判断しているかも教えてくれる。
また、有名な清少納言への批評は、彰子の周囲はこうあってはならぬという道長への密かな具申と解釈すべきと考え、単なる個人的な評価だという考えを退ける。
読み進めるうちに、紫式部は女性たちにどう生きることを望んだのかが私たちにわかってくる。
日記文学の解読を通して、現代にも通じる女性の生き方を指南する画期的な書。
中宮彰子の出産や、華やかな行事にあふれた宮廷を描写しているようにも思える日記だが、著者はそこにたぐいまれな人間観察の筆致を見る。
たとえば皇子誕生の祝いの場で、一見くったくなくたわむれているようであっても心中穏やかでない人たちを描く紫式部の洞察力が見逃すことはなく、
馬鹿な男、立派な男をどのようなことで判断しているかも教えてくれる。
また、有名な清少納言への批評は、彰子の周囲はこうあってはならぬという道長への密かな具申と解釈すべきと考え、単なる個人的な評価だという考えを退ける。
読み進めるうちに、紫式部は女性たちにどう生きることを望んだのかが私たちにわかってくる。
日記文学の解読を通して、現代にも通じる女性の生き方を指南する画期的な書。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2015/6/17
- ISBN-10434497235X
- ISBN-13978-4344972353
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商品の説明
著者について
田中 宗孝(たなか むねたか)
1941年、奈良県生まれ。64年、東京大学法学部を卒業。国家公務員・地方公務員を経て、99年、日本大学法学部教授、2011年10月、退職。
田中 睦子(たなか むつこ)
1943年、熊本県生まれ。66年、共立女子大学家政学部を卒業。
1941年、奈良県生まれ。64年、東京大学法学部を卒業。国家公務員・地方公務員を経て、99年、日本大学法学部教授、2011年10月、退職。
田中 睦子(たなか むつこ)
1943年、熊本県生まれ。66年、共立女子大学家政学部を卒業。
登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (2015/6/17)
- 発売日 : 2015/6/17
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 240ページ
- ISBN-10 : 434497235X
- ISBN-13 : 978-4344972353
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,240,278位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 17,711位日本文学研究
- カスタマーレビュー:
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